うわ、父さんすごっ!
と初めて思ったのは、高校生の時だった。
いつも無口で、家ではご飯を食べるかテレビを見るか、そんな父が、たったA4一枚の設計図を見て、翌日には立派な机を作ってくれた。材料はどこかの余りもの、工具も年季の入ったガレージのものばかり。それでも、自分が頭の中で思い描いていた「ぴったりの机」だった。
■エンジニアと知らなかった父
父は、医療機器を扱う工場で働くエンジニアだった。
けれど、当時の私は「エンジニアってなに?」状態。パソコンを使ってる人?英語を話す人?白衣を着てるの?……そんな曖昧な印象しかなかった。
父は仕事のことを話さない。
もちろん、仕事場にも連れて行かない。
何を作ってるのかも知らず、ただ「工場に行ってる人」という感覚だった。
■教えてくれなかったけど、伝わっていたこと
ガレージには、見たことのない工具や木材、機械の部品が散らばっていた。
私は小学生の頃、よくその中で木を切ったり、釘を打ったりして遊んでいた。危ないからと叱られた記憶はない。
たまに、工具の名前や使い方をポツリと教えてくれたが、それだけ。基本的には見て覚えろ、というスタンスだった。
父は家の修理も、何も言わずにサッとやっていた。今で言えば「DIY」。でも、当時はそれが父の日常だった。
■母が教師、父がエンジニア。進路はこの2択
母は小学校の教師だったから、勉強はすべて母に見てもらっていた。
だから自然と、進路は「教師になるか、エンジニアになるか」の二択。
当時はそれが当たり前だと思っていたが、今思えば、ずいぶん視野が狭かったと思う。
結局、選んだのは「エンジニア」。
でも、時代は変わっていた。
工場勤務ではなく、パソコンとインターネット、プログラムを書くシステムエンジニアの道だった。
■父のすごさが、あとから分かってくる
仕事を始めて、自分で設計したり、トラブルを解決したりするうちに、ふと父のことを思い出す。
「そういえば、父さん、こういうの全部一人でやってたんだよな……」
とにかく手際がよかった。ムダがなかった。
あのガレージに転がっていたものの数々、きっと全部、意味のある道具だったのだろう。
■感謝と決意
父は、何も教えてくれなかった。
けれど、私の中に「技術って、かっこいい」「モノづくりって面白い」と思わせてくれたのは、間違いなく父だった。
いま、私はエンジニアとして働いている。
父のように工具を使うことはないが、コードを書く手の動きには、どこかあの頃の記憶が宿っている気がする。


■最後に
父の背中から受け取ったバトンを、私は自分なりに握って走っている。
無口だけど頼れる父に、今なら言える。
「お父さん、ありがとう」
そして、自分にもこう言いたい。
私ならできる!明日から踏み出す新たな一歩
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