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うそでしょ!? フランス研修“最後の発表”で人生がひっくり返った日

1年間の挑戦がひとつにつながった瞬間——フランス語と仲間と、私自身への信頼の物語 うわ、マジで…これが“最後の発表”!? そんな衝撃と高揚を胸に、私はフランス研修の1年間を振り返っていた。 語学学校3カ月、企業研修8カ月——まるで濃縮100%のジュースみたいに詰まった1年だった。 最初は、本当に言葉が出なかった。 クラスで質問されても固まる。 買い物でも言葉が回らず、悔しくて、寮の部屋で何度もため息をついた。 でも、そこからが勝負だった。 空いた時間でお小遣いを貯めよう!「アイリサーチ」       ■レポート地獄と“旅7カ国”のコントラスト 仲間の多くが10カ国以上旅していた中、私が行けたのは7カ国。 周りに比べたら少ないほうだったけれど、理由ははっきりしている。 ——後半戦、私はレポートに完全に飲み込まれた。 フランス語と日本語の2言語で書く膨大なレポート。 AIも翻訳も禁止。 辞書だけを握りしめ、カフェでも、寮でも、研究所でも、毎日ひたすら書いた。 それでも、気づけば私は“フランス語で書く自分”が当たり前になっていた。 語学のテストも中級クリア。 気づけば、英語よりフランス語のほうが話しやすくなっていた。 ■海外での一人暮らし、働く研究所、毎日のバス通勤 冷蔵庫の買い方から、公共料金の支払い、初めての研究所での仕事。 海外での一人暮らしは、誰も助けてくれない分、すべてが自分の成長につながった。 毎朝、眠い目をこすりながら乗ったバス。 研究所に着くと、フランス人の仲間が「Bonjour!」と声をかけてくれる。 その積み重ねが、私を少しずつ“フランスの日常”へ引き上げてくれた。 気づけば、多くのフランス人の友人ができていた。 でも——どれだけ仲間が増えても、 一番頼りになるのは、やっぱりホストファミリーだった。 語学研修が終わっても、私は何度も彼らに会いに行った。 土日のバーベキューで鍛えられた食欲とコミュ力は、今でも忘れられない。 ■そして、“最後の発表” フランス語で戦った1年間。 泣いた日も、悔しい日も、嬉しい日も全部つめこんだ最終報告。 スライドを開いた瞬間、胸の奥が熱くなった。 ——ああ、ここまで来た。 ——自分でここまで来たんだ。 ブルカヌスという...

これがフランス生活!?——“質素”がくれた自由と発見の1年間

Amboiseの語学研修からVersaillesの企業研修へ——質素でも前へ進めた理由 驚きから始まったフランス生活 うわっ、これが私のフランス生活!? フランス到着直後、そう叫びたくなるほど、私の留学生活は“華やか”とは程遠かった。 1年間の国費留学で、最初の数カ月は Amboise(アンボワーズ)で語学研修 、その後に Versailles(ヴェルサイユ)での企業研修 という流れだったが、そのどれもが“質素”と“挑戦”の連続だった。 Amboiseでの語学研修:小さな町での大きな学び Amboiseはロワール川沿いの美しい地方都市。 しかし観光地の華やかさとは裏腹に、学生として過ごす生活はとてもシンプルで静かだ。 留学費が作れなかった私は、国費による支援を選択するしかなく、実家もフランスへ仕送りできる余裕はない。 それでも、「行きたい」という気持ちを捨てられず、探し続けて出会ったのが ブルカヌス・イン・ヨーロッパ 。 国費で生活費までサポートされる、奇跡のようなプログラムだった。 Versaillesでの企業研修:いきなりRenault本社へ 語学学校を終え、次のステップはいきなり Renault本社での研修 。 本音ではMBAにも関心があったが、2年間のMBAでは大学の休学制度が使えない。 「今踏み出せる道を選ぶ」 そう決めた結果、語学研修後すぐに本場フランス企業で働くという、貴重すぎる挑戦が実現した。 VersaillesのFoyer生活:質素でも前に進めた Versaillesでは Foyer と呼ばれる安価なアパート に住んだ。 国費の生活費があるとはいえ、貯金ゼロの私は常にギリギリ。 夜ご飯はレンチンの簡易食で 3ユーロほど 。 土日は食堂が閉まり、日曜は街の店という店がすべて休み。 「じゃあ今日はどうやって生きよう?」と毎週のように考える日々だった。 無料でできることを徹底的に探す日々 そんな生活のなかで磨かれたのが、 “お金を使わずに楽しむスキル” 。 美術館の無料デーを調べ、電車賃を節約するために Versailles 宮殿まで片道1時間歩く。 ジャルダン(庭園)だけなら無料で、どれだけ歩いても飽きないほど広大だった。 あの庭を何度歩いたかわからない。 むしろ、散歩が私の中でちょ...

えっ!? ここフランスだけど…“日本と一緒やん”と気づいた日

フランス語ゼロの私が見つけた、Globalな世界の“共通点”と“仲間”の物語 ◆ フランス語初日、いきなり壁! 「うわっ!? 全然わからん!」 フランス語初日の教室で、私はいきなり固まりました。 英語とは文法もリズムもまったく違う。 知ってはいたけど、ここまで違うとは——。 授業中、先生も生徒も少しは英語を話せるので、何か困れば英語で助けてくれる。 でも、みんなそこまで英語が得意なわけじゃない。 そう、ここは“フランス”。英語はあくまで補助。 このとき私は思いました。 「あれ?日本と一緒やん。」 空いた時間でお小遣いを貯めよう!「アイリサーチ」       ◆ 日常生活は、どの国でも似ている 学校が終わればカフェでお茶して、スーパーで買い物して帰る。 ホームステイ先にはピアノがあって、弾かせてもらえる。 夕方は宿題、そのあとはプログラムの資料を読み込んでいると、もう夜。 寝る前はラジオを流すのが習慣に。 …でも言葉はほぼ分からない。 それでも音楽はスッと心に入ってくる。 「あれ?これも日本と一緒やん。」 ◆ 仲間とのつながりが世界を広げてくれた 最初は日本人だけで固まりがちでした。 でも、気づけばクラスメイトがどんどん誘ってくれるように。 カフェ、バー、ビリヤード。 片言のフランス語と英語、そしてプチカフェやワイン。 スイス、台湾、ルーマニア、デンマーク、ドイツ。 国籍は違うけれど、みんな本当に気が良く、自然と仲良くなっていく。 語学学校の後は、それぞれが自分の生活へ戻る。 フランス語レベルもバラバラ。 スペイン語圏の人は「まだ近いから楽」と言いながらも、毎日みっちり努力している。 ◆ 夢に向かう姿に“国境”なんてなかった 「フランスでデザイナーとして働きたい」 「自分の店を持ちたい」 理由は本当に様々。 でも、みんなが向かっている先は、驚くほど明るい未来。 話していくうちに、私の緊張はふっと溶けました。 そして気づいたのです。 「なんだ、Globalって、みんな一緒やん!」 ◆ 世界への第一歩は“友達”だった このとき出会った仲間とは、20年経った今もつながっています。 世界へ踏み出す一歩は、特別なスキルじゃない。 完璧な語学力でもない。 “友達...

21歳、勝手に飛び出した日——“Global”が心に芽生えた瞬間

英語が苦手だった僕が、ワーホリをきっかけに世界を意識するようになった話。 🌏 はじまりは、ニューヨークの空の下で 「うわ、英語ってこんなに通じないのか!」 カナダの空港で、現地の係員に話しかけられた瞬間、頭が真っ白になった。けれど、あの一言が僕の“Global”への第一歩だったのかもしれない。 思い返せば、小学生の頃から「海外」という言葉にはなぜか心が躍っていた。親が学校の先生で、たまに英語の先生たちと話している姿を見て、「英語で話せるって格好いいな」と思っていた。家は決して裕福ではなかったけれど、両親は僕に英語を習わせてくれ、小学校の頃にはいとこの家を頼りに、ニューヨークで2週間を過ごす機会ももらった。宿泊費が浮いたとはいえ、海外に行けるなんて、当時の僕には夢のような体験だった。     👩‍🏫 中学時代、“世界”が近づいた瞬間 中学になると、学校に来ていたニュージーランドの先生が印象的だった。何気ない会話の中に、世界の広さを感じた瞬間。「いつか自分も、英語で世界とつながりたい」——そう思ったのを今でも覚えている。 📚 英語アレルギーの高校時代 けれど、高校に入ると現実は厳しかった。文法が複雑になり、長文読解に苦戦。英語は完全に“苦手科目”になった。あまりに分からなくて、テストでカンニングして怒られたこともある。まさか将来、自分が英語でディスカッションするようになるなんて、その頃の僕には想像もできなかった。 🎓 大学入試と、英語の壁 それでも、大学受験のときは意地で長文を読み込んだ。なんとか合格はできたものの、「話す英語」はまったく身についていなかった。そして、就職が近づくころ——ふと「このまま就職するのは嫌だ」と思った。 ✈️ ワーキングホリデーという選択 もっと自分を試したい、世界を見てみたい。そう思って出会ったのが ワーキングホリデー制度 だった。 カナダ、オーストラリア、ニュージーランド——どこに行くか迷った末、僕が選んだのはカナダ。正直、理由はあまり深くなかった。たまたま友人のつてを頼りに、現地のリビングに泊めてもらえることになったからだ。親には本当のことを言わず、こっそり準備を進め、21歳のときに飛び立った。 🌍 “Global”とは、生き方そのものだった 英語も不安、生活も不安。...