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全部つながってた!?——静かに芽吹いた2026年への助走

2023年に蒔いた種が、ようやく形になり始めた うわっ、振り返ってみたら点と点が線になっていた! そんな感覚で迎える2026年だ。 ■2023年、すべては同時に始まった 2023年、個人事業を始めた。同じ年に、本業でも転職をした。 どちらも新しい挑戦で、不安がなかったと言えば嘘になる。けれど、これまでの下積み——現場で積んできた経験や、失敗から学んだこと——は確実に自分の中に残っていた。 空いた時間でお小遣いを貯めよう!「アイリサーチ」       ■速く走る人、ゆっくり進む人 事業開始から、驚くほどのスピードで展開していく人たちがいる。同じアクセラに入っても、事業の形も、進み方も本当にさまざまだ。 見ていてよく思う。 成功の方法は、千差万別。 松下幸之助の言葉が、何度も頭をよぎる。 「失敗したところでやめてしまうから失敗になる。成功するところまで続ければ、それは成功になる。」 ■うまくいっていない時間も、確かにあった 正直に言えば、個人事業はまだお金になっていない。 2024年は、戦略らしい戦略もなく、とにかくいろんな場所に出かけた。無償で手伝い、人とつながり、英語コーチングの資格も取った。 副業の範囲で、無理をせず、セーブしながら。それでも確実に、自分の引き出しは増えていった。 ■2025年、芽が見え始めた 2025年、個人事業ではモノづくり補助金に採択され、事業が少しずつ動き出した。 「補助金に通った」と伝えると、驚かれることも増えた。仕組みが分かってきたこと自体が、大きな前進だった。 始動プロジェクトでも仲間ができ、その対話からサービス化できたものも生まれた。応援チームとの関係も深まり、応援する側が認められる素地も、少しずつ整ってきた。 ■本業でも、静かに手応え 本業では、グローバル案件を推進する中で、日本チームとの確執や、既存組織への適応に苦労した。それでも、2023年に作ったシステムを使い、丁寧にお客様の声を聴き続けた。 そこには、空調のさらなる発展を期待する、確かな思いがあった。 ■さあ、2026年 年末、自分の思いを吐き出してみて、思った。 2026年は、もっと期待していい。 2025年の流れを引き継ぎ、ゆっくり走ろう。一気に拡大することが正解とは限らない。堅実に、確実に...

うそでしょ!? 部署が消えた日から始まった“逆転レポート”物語

ベルギー発表まで残り2カ月——背中を押してくれたのは、日本人エンジニアでした 【衝撃の始まり——部署が消えた日】 「 えっ、終わった…!? 」 そんな叫びから、私の“逆転ストーリー”は始まりました。 フランスでの企業研修まっただ中、 突然の部署消滅 。 机も、役割も、所属も——一晩で消えたのです。 最初に頭をよぎったのは、 30ページの終了論文 。 プログラムとしては続ける必要があり、 3月にはベルギーで 11人の仲間が成果発表 を控えている。 でも—— 提出先がない。     【時間は1月、発表は3月——逃げ場のない現実】 1月。 新しい部署を探すには、あまりに時間がない。 Renault社に確認しても、 「新しい部署の割り当て予定はありません」 と事務的な返答。 少しだけ書き出したレポートはある。 でも “どこに出すのか” がない。 上司に相談しても、 「あなたのレポートを受け取る部署はない」 と言われ、心が折れた。 ――あきらめる? そんな言葉が本気で胸をよぎった。 【日本人エンジニアとの出会い——本気の喝】 そこで頼ったのが、 日産から派遣されていた 日本人の優秀なエンジニア 。 事情を話すと、 「う〜ん、ひどいな…」 と同情しながらも、ちゃんと耳を傾けてくれた。 私は自虐気味に言った。 「もう、あきらめるしかないっすね〜」 その瞬間—— 空気を切り裂くような声が飛んだ。 「出すんだよ!」 「 やってきたんだろ!? 書いて出すんだよ! 」 「 受け取らなかったら、机に叩きつけてやるんだよ! 」 「 言われてやるんじゃない。自分で書いて、自分で出すんだよ! 」 胸を撃ち抜かれるような一言だった。 【気づき——“環境をつくるのは自分”】 その瞬間、私はハッとした。 “自分で動く、自分で環境をつくる” その姿勢を、いつの間にか手放していた。 彼は本気のエンジニアだった。 そして私は、どこかで甘えていた。 ——フランスまで来たんだ。 このまま終われるわけがない。 消えかけていた私のエンジンに、 再び火が灯った。 【逆転の決意——爪痕を残すために】 部署がなくても、受け取り先がなくてもいい。 私は、 自分がやってきた爪痕を残したい 。 あ...

えっ!? 生徒に避けられた——それでも“先生になりたい”と思えた2週間

■ 初めての「働く」——それは母校での教育実習だった 「えっ!? 生徒に避けられた!?」 そんな予想外の出来事から始まった、私の教育実習。 数学の教員免除を目指し、最後のステップとして挑んだ2週間。 日本で“アルバイト以外”で働くのはこれが初めてだった。企業経験はあったが、相手が“中学生”というのはまったく違う。しかも舞台は自分の母校。懐かしい通学路を歩きながら、「今度は教える立場で戻ってきたんだ」と胸が高鳴った。 アンケートでおこづかい稼ぎ     ■ 緊張よりもつらかったのは「朝の早起き」 初日は不思議と緊張はなかった。ただ、朝が早い。大学生活では夜型の勉強リズムだったため、規則正しい生活に体を慣らすのが一番の試練だった。 それでも担当は中学2年生。指導教員の先生の後ろを一生懸命追いかけながら、授業の流れをつかんでいった。 ■ 塾とはまるで違う“教える”ということ 授業内容自体は難しくない。塾講師のアルバイトで何度も教えてきた単元だった。 でも——学校は塾とは違う。 できる子を中心に進める塾と違い、学校では「取りこぼさないこと」が第一。 同じ単元でも20分かけて丁寧に説明し、全員が理解するまで進まない。 その姿を見て、ふと思った。 「先生の感覚って、こういうことか」 自然と、できる子よりも“できない子”に目が行くようになっていた。 ■ 生徒との距離——懐かれて、避けられて 2週間の実習では、授業だけでなく部活動にも参加し、生徒たちと全力で向き合った。 なついてくれる生徒もいれば、私を避ける生徒もいた。 思春期特有の難しさ。正解はわからない。 でも、全員と真正面から関わることだけは意識した。 ■ 最後の日に届いた“心のメッセージ” 実習の最終日、全員からメッセージカードをもらった。 避けていた生徒のカードにはこう書かれていた。 「2週間、私には本当に長かったです。」 思わず笑ってしまった。きっと、いろんな感情があったのだろう。 「好かれてましたね」と指導教員の先生が言ってくれた。 「ぜひ先生になってね」 その言葉に、私は笑顔で「ありがとうございます」と答えた。 ■ 教職のやりがい、そして“今はまだ”という決断 教育の楽しさ、難しさ、責任。 2週間でそのすべてを肌で感じた。 ...

🌏「うわ、私、今“世界”にいる」――深センのピッチで見えた“日本再生”のヒント

ラスベガスで衝撃を受けた私が、深センで自分の未来を確信した日。 ■ あの衝撃の瞬間から、すべてが始まった 「え?本当に私がステージに立ってる…?」 その瞬間、全身に鳥肌が立った。スポットライトに照らされる中、私は英語でピッチをしていた。観客の前には、世界中から集まった名だたるスタートアップの創業者たち。 きっかけは数年前、ラスベガスで参加したテックイベント。圧倒的な熱量とスピード感に打ちのめされ、「日本はこのままでいいのか」と自問した。 ■ 日本のシステム変革を担って 帰国後、私はGlobal企業のシステム部門で、日本の業務改革・DX推進に奔走する日々に身を投じた。業務の課題を見抜き、現場を巻き込み、少しずつ変革を形にしていく。その過程で芽生えたのが、自分なりのイノベーションアイデアだった。 「これを世界に出せるかもしれない」 そう思い始めた矢先、偶然が重なり、海外のスタートアップイベントでピッチする機会を得た。舞台は中国・深セン。まさにアジアの“シリコンバレー”。 ■ 個人の挑戦、つながりが拓いた舞台 企業の肩書きではなく、完全に“個人”として挑戦した今回の登壇。きっかけは、旧友との再会と、そこからつながった支援者たちだった。人のつながりの力に、心から感謝している。 資料作りから英語での練習まで、毎晩遅くまで準備を続けた。だが、現地に集まった登壇者たちは、すでに会社を立ち上げ、製品をリリースし、投資家の注目を集めている人ばかり。 結果は、惨敗。反応は薄く、手応えはなかった。 ■ 技術は負けてない。足りないのは“届け方” ただ、その体験を通して気づいたことがある。 日本の技術力は負けていない。むしろ、細部のクオリティやプロトタイプの完成度では勝っていた。 ではなぜ勝負に負けたのか?答えは明白だった。 彼らは「売る力」「魅せる力」に長けていた 。街全体がスタートアップを支え、ピッチイベントはまるでフェスのような熱気に包まれていた。 ■ 日本にもできる。だから、私はやる その経験を経て、私は確信した。日本にも戦える力はある。必要なのは、「営業」「マーケティング」「ストーリー設計」などの支援体制だ。技術に加えて、 “売り方”を磨くことこそ、再生のカギになる。 今後、私は自分の立場から、それを支える存在になりたい。変革を進めるだ...

落ち続けたって、終わりじゃない! ― 5回落ちた試験が教えてくれたこと ―

うわ、また落ちた!? 試験の結果を見て、思わず声を上げたあの日。何度目だったろうか。もう笑うしかなかった。 あきらめの履歴書 今でこそ、中小企業診断士、FP、そして高度情報処理技術者(PM・DB・セキュリティ)など、いくつもの資格を保有している。でもその裏には、数えきれない「不合格通知」と「ため息」の山がある。 特に記憶に残っているのが、 高度情報処理技術者のネットワークスペシャリスト 。 これには、なんと 5回落ちた 。もう苦笑いすらできなかった。 システム屋として、ネットワークは持っておきたい資格だった。 PMも取れた、DBもクリア、セキュリティも突破できた。 だからネットワークが加われば「どこでも戦える」と信じていた。 実際、点数は惜しいラインまでいった。 でも、届かなかった。何度挑んでも、合格通知は来なかった。 中小企業診断士は10年越しの挑戦 中小企業診断士も一筋縄ではいかなかった。 こちらは 10年近く勉強していた気がする 。試験制度の変更にも何度も翻弄された。長すぎた戦いの中で、あきらめた試験も数知れず。 MBAを目指していたらどうだったろう もっと違うキャリアがあったのかもしれない そんな思いも、心の片隅にずっとある でも、それも含めて「自分の選択」。 どんな挑戦をして、どこであきらめたかも、すべて自分で決めたこと。だから後悔はない。 迷った分だけ、広がる世界 どの資格を取るべきか、何を学ぶべきか―― あの頃、毎日のように資格情報を調べ、テキストを読み比べた。 気づけば、金融系、システム系、事業系と幅広い知識が身についた。 結果、視界は広がったし、今の仕事でもその“多面性”が強みになっている。 そして何より、たくさんの失敗とチャレンジを経て、 自分の学び方 がわかってきた。 あきらめたっていい、でも進もう 資格はあくまでツールであって、ゴールではない。 失敗しても、あきらめたとしても、それは「挑戦した証」。 そこに意味がある。 今は、得た資格をどう活かすか、どんなチャレンジにつなげるかを考えながら行動している。 だから、これから何か始めようとしている人に伝えたい。 失敗してもいい、それでも前に進もう 私ならできる!明日から踏み出す!