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全部思い出せる——20年分のシステムが、今も頭の中で動いている

過去のプロジェクトは、最高のコンサル資料になる えっ、こんなに鮮明なの!? 社会人になって20年を超えた今でも、私が関わってきたシステムは、驚くほど一つひとつ思い出せる。 システムの画面構成、トラブルが起きた夜、議論が白熱した会議室の空気まで、まるで昨日のことのようだ。     ■過去を振り返ることが、仕事になる システムを生業にし、コンサルとして仕事をしていくと、過去の経験は「思い出」ではなく「資産」になる。 「あの時、なぜこの判断をしたのか」 「別の選択肢はなかったのか」 そんな問いを、自分自身に投げかけながら、過去をなぞるように振り返る時間が増えた。 ■正解も失敗も、すべてが材料 間違った判断も、正しかった選択も、楽しかった現場も、正直しんどかったプロジェクトもある。 当時は答えがわからなかったことも、今なら説明できる。 そして、その説明力こそが、今のコンサルティングの説得力になっている。 ■すべての原点は「最初のシステム」 特に忘れられないのは、最初に関わったシステムだ。 日立が一次受けとなり、二社の日立系システム会社がサポートに入り、その中には二次受けのメンバーもいた。 全体で30人ほどのチーム。女性は少なく、システム会社に1人、そして私の同期が1人いたのをはっきり覚えている。 ■30人で作った銀行Webシステム この体制で取り組んでいたのが、銀行のWebシステムだった。 研修で学んだJavaを、初めて本気で使い込んだプロジェクト。 教科書通りにはいかない現場で、コードと仕様と人間関係に向き合いながら、「システム開発とは何か」を体で覚えていった。 ■書くことで、記憶は価値に変わる こうしてBlogを書きながら、懐かしさと同時に気づく。 過去の経験は、振り返った瞬間に、今の自分を支える武器になる。 だから私は、これからも思い出し、言語化し、次の仕事へとつなげていく。 私ならできる!明日から踏み出す

そんなの“サービス”で付けるの!?——最初の現場で知ったプロの矜持

設計書の行間に宿る、日本のシステム開発の底力 うわっ、設計書にない機能が入ってる!? エンジニアとして最初に配属されたプロジェクトで、私は少し戸惑いながら画面を眺めていた。 ■ 初めての現場は「銀行×Web」 私が日立で最初に配属されたのは、銀行プロジェクトだった。 銀行の基幹システムをWebブラウザから操作するシステムで、作ったWebページは最終的に行内全体へ公開されていく。新人にとっては、なかなかの緊張感がある現場だ。 最初は日立システムズの先輩社員について、設計書を作るところから一つひとつ確認していった。 すでに要件定義は完了しており、工程は基本設計、そして詳細設計へ。私は一部の機能担当を割り振られ、Excelで設計書を書き、先輩のレビューを受ける毎日だった。 ■ 口数は少ないが、技術は確か その先輩は、とにかく優しい人だった。 口下手で、あまり多くを語らない。いわゆる「もくもくタイプ」。でも技術力は確かで、質問すると、少し間を置いてから独特で面白い回答を返してくれる。 設計書も、私が書いたものに先輩が手を加えながら一緒に仕上げていく。否定されることはほとんどなく、「ここ、こうした方がいいかな」と静かに示してくれる。新人にとって、これ以上ない環境だったと思う。 ■ 設計書にない“親切” ある日、先輩が担当している機能をレビューしていて、気づいた。 「あれ、この機能、設計書に書いてない…」 正直に聞いてみた。 「先輩、これ、設計書にないっすよ?」 返ってきた答えは、拍子抜けするほどあっさりしていた。 「あ、サービスで付けときました。」 理由を聞くと、こう続いた。 「これ、指摘して確認して、変更要件定義して…ってやると面倒でしょ。どうせ必要になるから、付けときました。」 ■ 今なら分かる、その凄さ そのときは「そんなことしていいんだ」と驚いただけだった。 でも今思うと、これは業務を深く理解し、利用者のことを本気で考えていないとできない判断だ。 その事業分野や業務に精通した人の感覚が、開発者レベルまで浸透している。 個別に細かく指示しなくても、自然と“忖度”がシステムに組み込まれていく。これこそが、日本の大企業が持つ構造的な強みなのだと、後になって気づいた。 業界を知っていることは、単なる知識ではない。 ...

こんなに分厚いの!?——巨大企業の“層”に飲み込まれた日

日立製作所のプロジェクトで知った、日本を支える構造の正体 うわっ、想像していた世界と全然違う! 研修が終わり、Web研修も終え、いよいよ実際のシステム開発プロジェクトに配属された日のことだ。胸の奥にあったのは、「ついに現場だ」という高揚感だった。     ■ 日本を代表する大企業・日立製作所 日立製作所は、日本を代表する大企業だ。電力、交通、産業、IT——世界中のインフラを静かに、しかし確実に支えている。金融分野でもその存在感は圧倒的で、日本のほぼすべての銀行に日立のシステムが入り込んでいる。特に大きな銀行であれば、どこかの領域で必ず日立に頼っていると言っていい。 ■ たった一つの銀行、その裏側 そんな日立の中で、私は「一つの銀行のシステムを開発するプロジェクト」に入ることになった。巨大企業のプロジェクトだから、日立の社員だけで回しているのだろう。正直、そう思っていた。 だが、現実は違った。 ■ 正式メンバーではなかった私 私は日立製作所の正式なメンバーとしてではなく、日立製作所の子会社である 日立システムズ の先輩の下についた。少し意外だったが、もともと日立システムズにも行こうかと考えていたこともあり、勝手に親近感を覚えた。 ■ 初めて聞いた言葉の数々 プロジェクトが始まって、初めて知る言葉が次々と出てくる。 「元受け」「二次受け」「三次受け」——。 一つのプロジェクトに、数社が関わっているのだ。日立が元受けとして受注し、その下に日立グループ会社、さらにその下に協力会社が連なる。特に日立グループの下請けが多いことに驚かされた。 ■ 日立って、製作所だけじゃない 「日立って、製作所だけじゃないんですね」 思わず口に出た。グループ会社全体を入れたら、一体何人になるのだろう。一つのプロジェクトを、自分たちの“グループ”だけで回せてしまう。その層の厚さに、ただただ圧倒された。 ■ これが世界を支える大企業 多重構造は、非効率に見えるかもしれない。だが、この分厚い層こそが、止まってはいけない銀行システムを守り、世界のインフラを支えている。巨大企業とは、規模だけでなく「構造そのもの」が強さなのだと知った瞬間だった。 私は、この分厚い層の一番下にいたかもしれない。 でも、その全体を知れたことは、何よりの財...

「バグは仕込めるの?」──新人時代の冷や汗ストーリー

YES、仕込めます(正確には“見逃せます”) 「うわっ!そんなことってある!?」 そう思わず声をあげたのは、私が新人時代に銀行システムの開発に関わっていた頃のことです。テーマはズバリ、「バグって仕込めるの?」。結論から言うと── YESです。 もっと正確に言えば、意図して仕込むというより「見逃してしまう」のです。私自身、まさにその経験をしました。 あの日の現場 まだ右も左も分からない新人の頃。担当したのは、銀行のWebシステムの一部。夜遅くまで先輩や同僚と机を並べ、必死にプログラムを書き続けていました。 テストも徹底していました。1ページにつき100個ものテストケースを用意し、思いつく限りのパターンを試しました。結果をエビデンスにまとめ、「よし、これで完璧だ」と胸を張れるほどやり切った感覚があったのです。 ふと気まぐれに入力した値 全テスト完了後、何気なく手が動き、気まぐれに値を入れてボタンを押しました。すると──「あれ?」。予想と違う画面が出てきたのです。 けれどその瞬間、私の頭の中は「でもテストケースは全部やった」「エビデンスもそろってるし、たまたまおかしくなっただけだろう」という自己防衛モードに突入。意識せず打ったため、どんな値を入力したかすら記憶していませんでした。 似たような値を試しに入れてみると、今度は正常な画面。やっぱり気のせいだろう──そう自分に言い聞かせ、そっと画面を閉じました。そして、その違和感は記憶のかなたに押しやられていったのです。 本番での冷や汗 翌週、システムは本番環境へ移行。本番受入テストでも異常は報告されませんでした。 ところが1週間後、銀行から一本の連絡が。「特定の操作で問題が出ているようです……」。送られてきた画面を見て、背筋が凍りました。それは、あの日“ふと見た画面”そのものでした。 冷や汗なのか脂汗なのか分からない、嫌な汗が流れました。黙って追加のテストケースを作り、修正版プログラムを急ぎ納品。あのときの緊張と反省は、今でも忘れられません。 バグとの向き合い方 あの出来事を振り返って思うのは、「完璧なテストなど存在しない」という事実です。人が作る以上、必ず見逃しやバグは起きる。大事なのは、それを正面から受け止め、次に活かす姿勢なのだと思います。 あの経験を境に、私は「偶然の違和感を軽...

立ったまま夜が明けた日 ― 銀行システムに刻まれた、僕の最初のローンチ

動かない…… あの日の感覚は、今でも指先が覚えています。 システム屋人生の中で、最も強く残っているのは、やっぱり“最初に世の中に出したシステム”。 銀行の裏側で、今もあのコードが生きてるかは分からないけれど、街中でそのサービスの画面を見ると、つい立ち止まってしまう自分がいます。 構想より、完了を見届けたほうが記憶に残る これまで大小さまざまなプロジェクトに関わってきました。 3年越しのものもあれば、半年で終わった案件もあります。 でもやっぱり、 「最後までいたプロジェクト」 ほど記憶に強く残ります。 そういう意味では、開発側にいたときの経験は大きかった。 Deloitteでは構想フェーズ中心で、作り上げる楽しみや思い入れはやや薄かった気がします。 日立時代、みんなで夜通し働いてローンチにこぎつけた案件――あれは特別でした。 でも、もっとも鮮明に思い出されるのは、 最初のリリース当日のこと 。 お客様先で、夜通し“立ちっぱなし”だった日 銀行向けの新システム、ローンチ当日。 私は現地に出向き、稼働状況の確認を任されていました。 でも、予定の時刻を過ぎても、動かない。 実際の障害箇所は自分の担当範囲じゃなかったんですが、立ち会っていた手前、「自分が責任を取らねば」と思い込んで、報告もできず、席にも座れず。 「座ってくださいよ」 と何度か言われたけれど、なんだか申し訳なくて、立ち続けてしまいました。 時間は刻一刻と過ぎ、深夜から明け方へ。 そして、 午前6時、「動きました!」の一言 。 思わず肩の力が抜けて、そこからやっと社内に報告を入れに戻ることができました。 緊張と不安と、でもそれ以上の達成感。 あの体験が、僕のシステム屋としての“原点”かもしれません。 今は画面が変わっていても、記憶は生き続ける その銀行の画面も今ではすっかり刷新され、あの時のUIは残っていません。 でも、 裏側の処理やロジックのどこかに、当時のコードがまだ動いているのかもしれない と思うと、なんだか誇らしい気持ちになります。 街で見かけるたびに、「あの日、立ってたな……」とちょっとだけ胸を張って振り返っています。 アンケートでおこづかい稼ぎ   自宅でできるフィットネスサービス SOELU(ソエル)   私ならできる...