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えっ、ここでも日本頼み!? —— フランスの研究現場で気づいた“技術立国ニッポン”の底力

Renault研修で明らかになった、日本の技術が世界に選ばれる理由 【1】衝撃のスタート——フランスの研究所で見た“日本頼み”の現実 「 うそでしょ!? ここまで日本頼みなの!? 」 Renault研究所での研修初日、私は心の中で思わず叫んでいました。ヨーロッパを代表するメーカーの中心でも、日本の技術がこれほど深く信頼されているとは想像以上だったからです。     【2】研修開始でまず気づいたこと——やっぱり日本の技術はすごい 8月、Renaultでの研修がスタートしました。文化も仕事のやり方も異なる環境で、最初に感じたのは、 「日本の技術はやっぱりすごい」 という確信でした。ニュースで見るアライアンス関係とは違い、現場ではその強さが“息づいて”いました。 【3】研究所に広がる日産の存在感——身近に感じる日本の専門性 私の部署には日産の方はいなかったものの、他部署には頻繁に来られていました。廊下で日本語が聞こえる日もあるほどで、 専門技術者としての存在感 は確かなものでした。 しかし人数としては少数。そのため、自然と日本人同士のつながりが生まれます。海外特有の“安心できる空気”がそこにはありました。 【4】日本人会で広がる視野——Renaultの役職者との貴重な交流 誘われて参加した日本人会では、Renaultの役職者の方々と気軽に話せる貴重な機会がありました。 上下関係を超え、 「君はどんなことをしに来たの?」 と興味を持ってくれるフランス流のコミュニケーションは新鮮で、視野が大きく広がりました。 そこで語られるのは、 日本の生産方式への厚い信頼 。 「日産の仕組みは素晴らしい」「日本の改善文化は本当に学びが多い」 そんな言葉を耳にするたび、誇りが込み上げてきました。 【5】海外で気づく“自分の位置”——だからこそ挑戦できる 異国の地に身を置くと、自分の小ささを痛感する瞬間もあります。しかし同時に、 挑戦する勇気をくれる環境 でもあります。 Renaultでの経験は、私自身の成長意欲を一段と強くしてくれました。 日本人会の先輩にかけてもらった言葉が胸に残っています。 「せっかく来たんだから、遠慮しないでどんどん掴みにいけ」 【6】最後の結論——一歩踏み出すのは、いつだって自分 海外で見...

マダムの叫びは“わからない”から——言葉が通じない夜に見つけた勇気

Amboiseの小さな田舎町で味わった、“英語が通じない”という衝撃。そして見えてきた、心で伝えるコミュニケーションの形。 😲 まさか、話が通じないなんて! 「えっ!? なんで!?」 ——まさか、20歳を過ぎて“コミュニケーションがまったくできない”日が来るなんて、夢にも思わなかった。 それなりに英語は話せるし、ヨーロッパってラテン語系だし、アルファベットも同じ。 「いや、基本的な会話くらいできるでしょ」と、正直、少し甘く考えていた。 空いた時間でお小遣いを貯めよう!「アイリサーチ」       🏰 フランス・Amboise——言葉の壁との出会い フランス・Amboise。ロワール川沿いの美しい田舎町。 レオナルド・ダ・ヴィンチが晩年を過ごしたAmboise城で知られる観光地だ。 けれど、滞在先のマダム——彼女は英語も日本語もまったく通じなかった。 昼に迎えてもらい、マルシェ(市場)までは何とかなる。 身振り手振りと笑顔で、どうにか理解し合える。 言葉の意味は半分も分からないけど、不思議と“言いたいこと”のイメージは伝わってくる。 あぁ、これが“心の翻訳”ってやつか、と少し感動していた。 🍽 フランス家庭のフルコースと、沈黙の夜 しかし、夕方からが本番だった。 晩御飯はフランス式のフルコース。 前菜、サラダ、メイン、そしてチーズとデザート。 何が出てくるかもわからないけれど、出されたものは全部笑顔で食べた。 お腹はパンパン。でも断る言葉も、知らない。 それでも「おいしい」と伝える気持ちは、きっと伝わっていたと思う。 そして夜。シャワーを借り、寝る準備をしていたとき—— マダムが何か言っている。 「アケラー?」 ……え? 何? 何度聞いても同じ言葉。 辞書を開いて確かめようとした、その瞬間—— マダムが叫んで、辞書を勢いよく閉じた! 「アケラー!!」 叫ばれた僕は焦るばかり……。 部屋の空気が一瞬にして止まった。 少しの沈黙の後、マダムはふっと息をつき、別の行動に出た。 彼女は時計を持ってきて、針を指さした。7時だ。 ⏰ 朝7時、何が起きてもいいように 「あっ、明日の朝のことか!」とようやく気づいて「Oui!」と答えた。 でも、“7時に何をすればいいか”は結局...

20年経っても忘れない——フランスのお母さんの叫び

ベルギーからフランスへ。言葉も文化も違う中で出会った“あの叫び”が、いまも心に残っている。 「うわっ、マダムが叫んでる!」 その夜、僕は初めて“フランス語が分からない恐怖”を体で感じた。 空いた時間でお小遣いを貯めよう!「アイリサーチ」       🚗 ブリュッセルでの出発 僕の研修先は Renault(ルノー) 。その前に、 3か月のフランス語学習 があった。 本格的な企業研修はその後の 8か月間 。 最初の集合場所は ベルギー・ブリュッセル 。日本から集まった11人の仲間と、そこで初めて顔を合わせた。 ブリュッセルでの1週間の研修には 日本人スタッフは誰もいない 。 何年もこのプログラムを支えてきた 優秀なイタリア人スタッフ が私たちを迎えてくれた。 初めて会う仲間と、将来への不安を語り合い、励まし合う日々。 やがて僕たちは、それぞれの国へと散っていった。 フランスへ向かうのは4人。そのうち ルノーに行くのは僕ともう一人 。 1社に2人というのは、かなり珍しかった。 🚄 初めてのTGV、そしてアンボワーズへ フランス語研修の場所は Amboise(アンボワーズ) 。 ブリュッセルを後にし、初めての TGV に乗り込む。 カタツムリみたいなロゴを眺めながら、「新幹線より揺れるなあ」と心の中でつぶやいた。 夕方、アンボワーズ駅に着くと、仲間のホームステイ先の マダム が迎えに来ており、僕の家まで送ってくれた。 🏠 フランスにもあった“団地” 到着したのは、 4階建ての団地のような建物 。 「フランスにもこういう場所があるんだな」と少し驚きながら部屋へ。 3か月滞在する小さな部屋は、家具や装飾がすべて フランス風 。 長旅を終え、外はすでに暗くなっていた。 「明日の話をしないと」と思いながら、マダムと簡単な会話を交わす。 💥そして——マダムの叫び声 そのときだった。 突然、マダムが大声で叫び始めたのだ。 言葉は分からない。けれど、明らかに 怒っている のは伝わった。 小さな部屋に響くフランス語の叫び声。僕はただ立ち尽くすしかなかった。 「何が起きているんだろう?」 異国の地で、まだ右も左も分からない自分。 その夜のことは、20年経った今も鮮明に覚えている。 ...

「わっ、英語が通じない!?」——カナダで感じた“Globalの壁”と私の挑戦

ワーホリで学んだ、英語のギャップと自信の揺れ、そして踏み出す勇気 カナダでのスタートはドキドキの連続! わっ、英語って本当に別世界だ!カナダ・バンクーバーに飛び出した21歳の私は、友達の友達の友達のリビングに泊めてもらいながら、初めて自分のEnglish Resumeを作った。ダウンタウンの中心、タワーマンションの一室は春の陽気に包まれ、生活はまるで夢のよう。しかし現実は甘くなかった。     英語の壁に直面 お金がなく語学学校に行けない私は、スーパーやエレベーターで急に話しかけられるだけで心臓が飛び出しそうになった。How Are You? なんて聞こえず、飛び交うのは “How’s going…?” え、そんな表現、習ってないぞ!?英語の難しさに、驚愕する日々だった。 工夫して仕事を見つける そこで私は英語をあまり使わない仕事を探し、Resumeを郵送とFAXで送りまくった。山の中のバンフで面接が決まり、面接だけでバスに10時間揺られて行った。2社面接して1社採用。バスの運転手として働きながら、ガイド業務も覚えていった。タクシーの免許が役に立ち、24シーターのバスも運転できた。 山の中での半年間 半年間、山の中でバスドライバーとして働く日々。近くの人と話すことも、テレビを見ることも、まだまだ難しい。自信満々に学んできた英語が崩れていく感覚…これが私のGlobalの第一歩だった。 挑戦は続く 壁にぶつかるたびに学び、少しずつ自分の力に変えていく。世界は広いけれど、恐れる必要はない。私ならできる!明日からまた一歩を踏み出すんだ。