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「お客様もシステム屋だった」――ロンドンで見えたIT業界の境界線消滅

システム屋と業務担当、その境界はどこへ行ったのか 社会人8年目、ロンドンで感じた小さな危機感 うわっ!お客様との会話が、まるでシステム設計レビューになっていた! 社会人8年目。 もう9年目が見え始めていた頃の話だ。 私はシステム屋として、アプリケーション構築に携わってきた。 お客様の要件を聞き、設計し、開発し、導入する。 システムのプロとしてサービスを提供する立場だった。 そんなある日、日本のお客様がロンドンの企業からパッケージシステムを購入した。 その導入プロジェクトに参加することになり、私はシステム研修のためロンドンへ向かった。 研修期間は2週間。 場所はウォータールー周辺。 ロンドンの金融機関や大手企業が集まるエリアだった。 当時の私は、新しいシステムを学ぶことばかり考えていた。 しかし、本当に学んだのはシステムそのものではなかった。 業界構造の変化だった。 ■ お客様との会話に違和感を覚えた 研修やプロジェクトの打ち合わせが始まった。 私はシステムベンダー側として説明を行う。 アーキテクチャ。 データ構造。 運用設計。 インターフェース。 するとお客様から質問が飛んでくる。 しかも、その質問が妙に鋭い。 「その設計だと将来的な拡張性はどうなりますか?」 「データ移行時の整合性はどう担保しますか?」 「パフォーマンス試験はどの条件を想定していますか?」 あれ? なんかおかしい。 業務要件の質問ではない。 システム屋がする質問だ。 私は少し戸惑った。 ■ なぜお客様がこんなに詳しいのか しばらくして理由が分かった。 実はお客様側の担当者の多くが元システム屋だったのである。 SIer出身。 開発会社出身。 インフラ出身。 転職して事業会社へ移った人たちだった。 つまり、 業務担当者でありながら、 システムのプロでもあった。 私は衝撃を受けた。 それまで私の中には、 お客様=業務担当 ベンダー=システム担当 という構図があった。 しかし現実は違った。 境界線がなくなり始めていたのである。 ■ システム屋の価値はどこにあるのか そこで考え始めた。 私たちシステム屋は何を武器にすれば良いのだろうか。 アプリケーションの専門家として技術を磨くべきか。 しかしサーバ担当もいる。 ネットワーク担当もいる。 データベース担当もいる。 インフラ領域は専門ベンダーが支えている。 で...

「理解できない金融システム」に挑む——社会人8年目、突然決まったロンドン2週間出張

うわっ!羽田空港の搭乗ゲートが、“人生の難易度変更ボタン”に見えた――。 プロジェクトが始まって、まだ1ヵ月。 突然、上司から言われた。 「ロンドン出張、2週間ね」 え? 研修ではない。 視察でもない。 完全に“仕事”としての海外出張だった。 しかも行き先は、ロンドン。 金融街Waterloo。 当時の私は、社会人8年目。 グローバル案件への憧れはあった。 しかし、正直に言うと、金融の仕組みなんて、ほとんど分かっていなかった。 もちろん、一生懸命勉強した。 市場、決済、トレーディング、金融ネットワーク…。 でも、難しい。 本を読んでも、会議に出ても、正直「分かった気がする」レベルだった。 そんな状態で、突然決まったロンドン出張。 しかも目的は、 「ロンドンで動いている金融システムを理解しに行くこと」 いや、無理では? “大企業案件”のリアル 今振り返ると、こういう巨大案件に入れるのは、大企業の強さだと思う。 日本の金融市場にも影響を与えるレベルのシステム。 その現場へ、実際に行ける。 これは普通では経験できない。 だからこそ、私は思った。 「ここで実力を見せないといけない」 まだ何者でもない。 でも、ここで結果を出せれば、自分は変われるかもしれない。 気合だけは、異常に入っていた。 ロンドン金融街・Waterlooへ メンバー構成は5人。 ・サーバチーム ・運用メンバー ・アプリケーション担当の私 ・そして、プロジェクト部長 営業はいなかった。 つまり、“売るための出張”ではない。 純粋に、システムを理解するための出張だった。 このメンバー構成が、逆に緊張感を生んでいた。 特に、システム部長。 寡黙。 静か。 でも圧倒的な威厳がある。 余計なことは話さない。 しかし、質問には本質だけを返す。 当時の私は、その空気だけで緊張していた。 2週間は長いのか?短いのか? 当時は、「2週間の海外出張」と聞いて、かなり長く感じた。 初めての泊まり出張。 しかも海外。 それだけで非日常だった。 でも、今なら分かる。 巨大金融システムを理解するには、2週間なんて短すぎる。 サーバ構成。 運用設計。 監視。 DB。 ネットワーク。 市場との接続。 一つ理解すると、...

これが社会の入口!?——500人が一斉に立ち上がった日立の入社式

テレビの中の光景は、現実だった。大企業に「入る」という一日 うわぁ……本当にこんな世界があるんだ。 それが、日立製作所の入社式に足を踏み入れた瞬間、最初に浮かんだ正直な感想だった。     ■ 全社一斉。想像を超えたスケール感 日立製作所の入社式は、事業部ごとではない。 全体で一斉に行われる。 前日、新宿のホテルに前泊し、翌日は朝から夜まで一日がかりのイベント。 会場に集まった人数は、 500人超 。 大学の卒業式と同じ、いやそれ以上の規模だった。 テレビのニュースで何度も見てきた、あの「ずらりと並ぶ新入社員」。 「ああいうの、演出でしょ」と思っていた自分が恥ずかしくなる。 本当に、あるんだな。 ■ 「大企業に入る」という実感が、じわじわ来る スーツ姿で整列する500人以上。 一人ひとりは小さくても、集まると圧倒的な塊になる。 この瞬間、ようやく実感した。 ああ、自分は“大企業”に入ったんだ、と。 式が終わると、今度はそれぞれの事業部へ割り当てられていく。 私が配属されたのは、 システム部隊 。 そこでも、ざっと 200人規模 。 「多いな……」と思いつつ、ここからが本番だった。 ■ 3カ月間の研修という“社会人リセット期間” 配属後は、約3カ月にわたる研修。 社会人としての基礎、ビジネスマナー、そしてシステム開発の考え方。 プログラムの書き方だけでなく、 考え方・進め方・チームの作り方 まで叩き込まれる。 役員クラス、部長クラスの話を直接聞く機会も多い。 学生時代とは、空気がまるで違う。 スーツを着て、真剣な議論を交わす日々。 「社会人になった」という感覚が、一つひとつ積み上がっていった。 ■ 仲間であり、ライバルである存在 同期は、仲間であり、同時にライバル。 議論すれば負けたくない。 成果を出せば刺激になる。 それでも、夜には情報交換し、助け合う。 このとき、心から思った。 基本情報処理技術者試験、合格しておいて本当に良かった。 基礎があるだけで、理解のスピードも、議論の深さも違う。 ■ すべてが「社会人スイッチ」を押していく 500人の入社式。 200人のシステム部隊。 3カ月の濃密な研修。 仲間との切磋琢磨。 そのすべてが、少しずつ、確実に、 ...

「システム屋、副業の新境地!」業務スキルを活かす挑戦

投資ではなく、経験を武器に。大企業の知見を副業に変えるシステム屋の未来図 空いた時間でお小遣いを貯めよう!「アイリサーチ」       「えっ、副業って投資や転売だけじゃないの?」——そんな驚きから始まった私の探究。システム屋として長年大企業で積み上げてきた経験を、副業というフィールドでどう生かせるのかを考えたとき、見えてきたのは“システムを武器にした業務支援”という道だった。 投資ではなく「業務」で勝負する 世の中、副業といえば株や暗号資産の投資、副収入を目指すビジネスが注目されがちだ。しかし私は、あくまで業務経験を軸に勝負したい。長年システム設計や運用に携わってきた経験を「副業の資産」として活かせないだろうか、と。 顧問契約という可能性 実際、システム屋に向いているのは“顧問契約”だと思う。大企業の経験を持つ人材は、スタートアップや中小企業にとってアドバイザーとしての価値がある。最近は顧問契約を仲介するサービスも増え、「副業顧問」という働き方も広がっている。 ただ、実態を調べると「顧問」と言いつつ、実質は外部営業担当のようなポジションもある。営業力が求められる場面もあるが、私は営業が得意ではない。むしろ、営業畑を歩んできた人のストーリーづくりの巧みさに学ばされる。 ネットワークから得た気づき そんなとき、LinkedInやFacebookでつながった方々、ネットワーキングで出会った方々との会話から新しい視点を得た。みんな、それぞれの分野で課題を抱え、それをどう解決するかを模索している。彼らが語るのは「自社」ではなく「業界」の課題だ。 課題を解決するアイデアをシステムで その瞬間、気づいた。「これこそシステム屋の出番だ」と。業界課題を持つ人々を、システム的な発想でサポートできるのではないか?もちろん、その業界の専門家ではないからリードは難しい。しかし、システムの組み合わせ方、データの持ち方、AIの活用、構築プロセスの進め方——。これらの知見は確実に課題解決の武器になる。 ライフワークとしての課題解決 システムや技術を使って課題を解決する。それは私が大企業でずっとやってきたライフワークだ。技術的なアプローチで解決策を提示することなら、いくらでもアイデアを出せる自信がある。そして、それは副業という形でも人々の役に立...

3回目の転職で見つけた!僕だけの”譲れない条件”

「えっ!? そんな条件まで揃う会社があるの!?」 そう言われても仕方ないくらい、僕の3回目の転職、4社目への挑戦には数々の”譲れない条件”がありました。 僕が掲げた条件リスト 今回の転職で外せない条件は次の通りです。 年収が上がること 役職をもらえること 海外移住にチャレンジできること システム系であること、かつ挑戦できること 社内システムだけでなくIoTや新しい分野に関われること 副業を認めてもらえること 事業分野は問わないが、海外との連携があること かなり欲張りに見えるかもしれません。でも「これからの自分」を本気で描いたとき、自然とこの条件が浮かびました。 書類と面接のプロセス 実際に動いてみると、10社以上から書類を送っていただき、そのうち5社ほどと面接をしました。オンライン面接やオフサイト面接を通じて感じたのは、どの会社も本気で人材を探しているということ。 意外にも「海外本社と連携して日本をリードして欲しい」というオファーが多く、年収アップの話も複数社から出ました。正直、これまで社内システムばかりだった僕にとって、IoTや海外展開といった言葉は大きな挑戦に思えましたが、不思議とワクワクが勝っていました。 最後の決断 最終的に選んだのは、年収が一番高い会社ではありませんでした。決め手になったのは「副業支援」です。 この会社は、過去の転職で僕を支えてくれたスペイン人CIOが在籍している企業。偶然ではなく、条件を提示し、彼とも交渉した結果、理想の環境を引き寄せることができました。 僕にとって「副業を許される」というのは、自由な発想と未来の成長を保証してくれる大きな後押しでした。そして結果的に、家族も納得のうえでの転職となりました。     結論 転職は条件を明確にすればするほど、実現の可能性が高まります。今回の経験で学んだのは「欲張りでいい、自分の未来を具体的に描けば、その条件に合う会社は必ず現れる」ということです。 僕はこうして理想の条件を手に入れました。そして今、新しい舞台に立っています。 「明日からの一歩、私ならできる!」

英語なんて要らない?──そう思っていた私が、コンサルで武器に変えた瞬間

英語は本当に必要なのか? 「えっ!? Deloitteに入っても、英語なんて使わないの?」──これは私が最初に抱いた違和感です。 大手コンサルといえば、グローバル案件を華やかに飛び回るイメージを持ちますよね。ところが実際は、日本のお客様を支える案件がほとんど。毎日英語を使うシーンなんて、思った以上に少ないのです。 プロジェクト探しの日々 コンサルティングの現場では、案件ごとにプロジェクトメンバーを集めます。適材適所で人を探すというよりは、まず優秀な人を確保して、プロジェクトごとに調整しながらアサインするスタイル。 人材の情報は一箇所にまとまっていないので、「この人、システム強い?」「誰か英語できる人いない?」といった声が、日々ネットワークを通じて飛び交います。そんな中で私も、いくつかの国内プロジェクトを回して経験を積んでいました。 英語×システム、突然のチャンス 入社して1年少したった頃、ある日声がかかりました。 「英語ができて、しかもシステムに強い人を探しているんだけど」 そう、まさに私へのオファーだったのです。聞けば、そのプロジェクトは外国人リードが仕切っていて、厳しくも優秀な方。システム構成を理解し、英語でしっかり説明できる人材が求められていました。 面接での勝負 プロジェクトに入る前、私はそのリードとの面接に臨みました。Architectureの全体像を整理し、どう説明すれば伝わるかを必死に考え抜きました。 結果は──合格。 英語はコンサルの中でも希少な武器。そして「システムがわかる」×「英語で話せる」という掛け算は、想像以上に強力なカードだったのです。 英語は武器になる そのプロジェクトをきっかけに、私のキャリアは加速していきました。Deloitteのような大手コンサルでも、実際には英語を使える人は限られています。だからこそ、ほんの少しのスキルが差別化につながる。 英語は、コンサルタントとしての自分を際立たせる武器でした。 空いた時間でお小遣いを貯めよう!「アイリサーチ」       そして、これから 英語は万能ではないかもしれません。でも「ここぞ」という場面で使えることが、プロジェクトの流れを変え、キャリアを大きく前に進めるきっかけになります。 あの日の挑戦があったから、私はグローバルなシ...

フルスタックのさらにその先へ!──“全部できる人”の時代は終わらない

驚きの始まり 「えっ!? フルスタックなんて言葉、昔はなかったんだよ!」 システム屋としてキャリアを歩み始めたころ、そんな概念すら存在していませんでした。当時は「SE」という大きな括りの中で、プログラマー、インフラ担当、ネットワーク担当と、まるで将棋の駒のように役割が分かれていたのです。 プロジェクトごとに変わる“席替え人生” 配属はプロジェクトごとに決まるのが常識。今回はプログラマー、次はサーバ担当、その次はテスト要員。そんなふうに、私はさまざまなチームを転々としてきました。大企業・日立にいたこともあり、扱う業務は幅広く、SEという肩書きは実に奥が深いものでした。 当時は、サーバ管理の達人、ネットワークの神様、DBの第一人者といった“その道のエース”が必ずいて、チームは彼らを中心に動いていました。そんな中で「いろんなことを少しずつ分かる人」が存在し、その人たちはいつの間にかPM(プロジェクトマネージャー)へと成長していったのです。 分業の進化、そして“フルスタック”の誕生 やがてPMという役割が「専門職」と認識されるようになりました。サーバ、ネットワーク、DB、それぞれの専門家を組み合わせることで、プロジェクトは格段に成功率を高めていったのです。 その一方で、「全部をある程度理解していて、どこでも戦える人」を人々は“フルスタック”と呼ぶようになりました。そう、分業化が進めば進むほど、逆に“横断的に全部見られる人材”の価値が上がっていったのです。 フルスタックのさらに上とは? では、フルスタックこそ最強なのでしょうか? いいえ、実はその上が存在します。PM?──いえ、それもまた違います。 フルスタックは「現場で戦えるオールラウンダー」ですが、さらに上には“ビジョンを描き、仲間を動かし、技術を超えて組織や社会を変えていく人”がいます。そうした存在こそ、真の意味での“次世代型エンジニア”なのではないでしょうか。 空いた時間でお小遣いを貯めよう!「アイリサーチ」     明日からの一歩 振り返れば、私自身も数え切れない担当替えや役割を経て、学びを積み重ねてきました。その経験こそが今の私を形作っています。 だからこそ、私は思います。 「フルスタックのその先」──そこにこそ、未来の可能性がある。 私ならできる!そして...

「システム屋、転職で人生変わる!?」──現役エンジニアが語る“動く勇気”のススメ

転職市場は今、熱い! 「えっ、今の会社辞めても、次がすぐ決まるの!?」──こんな衝撃の一言を聞いたとき、私は思わず背筋が伸びた。 転職市場は近年活発化しており、IT系も例外ではない。システムエンジニアの需要は高止まりしており、優秀な人材には多くの選択肢がある時代だ。 競争は激化。でもチャンスも大きい 確かに昔から、中国やベトナムの格安ベンダーが存在し、システム開発の競争は激しい。 「仕事が奪われるのでは…」と不安になることもあるだろう。しかし一方で、システム化のニーズはますます広がっている。業務の自動化、データ活用、クラウド移行──カバーすべき領域は増えるばかりだ。 フルスタックはまさに引く手あまた 仕事の量は十分にある。特にフルスタックエンジニアやクラウドに強い人材は、転職市場でも高く評価され、好条件のオファーが多数舞い込む。 しかし、転職が必ずしも最適解ではない。社内に残っていても、プロジェクトが変わるたびに新しい環境や課題に挑戦することになるからだ。転職もプロジェクト移動も、経験としては大差ないのだ。     動く勇気が未来を変える だからこそ、自分の評価が正当にされていない、または新しいことに挑戦したいと感じるときは、転職も視野に入れて行動してみる価値がある。 責任を取るのはいつだって自分自身。チャンスも失敗も、自分次第だ。 結論として──迷ったらまず一歩踏み出そう。新しい職場かもしれないし、次のプロジェクトかもしれない。どちらにせよ、私ならできる!明日から、動き出す勇気を持とう。

転職4回で年収アップ⁉ システム屋が選んだ“専門職人生”のすすめ💥

職を変えても、道は変えない――ジョブ型時代に自分らしく生き抜くキャリア戦略 うわっ!また転職?と思われても、実はこれが私のキャリアアップの鍵なんです。 私はこれまで4回の転職をしてきました。日立 → Deloitte → 武田薬品工業 → 日本キャリア(旧・東芝キャリア)。聞いただけでも“業界バラバラ”ですが、実はブレたことは一度もありません。私が選んでいるのは、常に「システム担当としての挑戦の場」なんです。 ■ 転職=収入減ではない 転職と聞くと、収入が下がるとか、キャリアに一貫性がないと思われがち。でも私の年収は、むしろ右肩上がり。なぜなら、どの会社でも一貫して“システム屋”として生きてきたからです。 どこに転職しても、私の専門性は変わらない。やっているのは、業務プロセスの改善や新しい技術を使ったシステム構築、そして現場の声を活かす設計と実装。それが製造業でも、コンサルでも、製薬業界でも同じように求められるからこそ、常に「一歩上の挑戦」としてキャリアを説明できるんです。 ■ 楽しみながら、挑み続ける 転職の条件としていつも意識してきたのは、「システムで遊べるかどうか」。 真剣に“遊ぶ”んです。新しい技術を使って、現場と一緒に何かを作る――それが楽しくなければ、仕事なんて続かない。だからこそ、「チャレンジできる会社」「自分の知識や経験が活かせる業界」を選んできました。 武田ではグローバルに展開するシステム基盤、日本キャリアでは製造現場と一体化した現場デジタル化など、それぞれで「面白いこと」を見つけてきました。 ■ 専門職として生きるという選択 転職しても、私の肩書きはいつも“システムの人”。つまり私は“会社”ではなく“職”で生きている。これは昔で言えば「ジョブ型」、今で言えば「専門職」の生き方。 最近は「独立してフリーランスに」と考える人も多いですが、私は「会社というプラットフォームを活かして自分を高める」というスタイルを選びました。大手の持つ資源やスケール、プロジェクトの大きさは、個人では得られない価値がある。それを活かしながら、一貫して同じフィールドでステップアップしていく。これが私のスタイルです。 空いた時間でお小遣いを貯めよう!「アイリサーチ」     ■ 明日からの一歩へ 転職はギャンブル?いえいえ...

「資格なしでもエンジニアになれるの?」と聞かれたら、私はこう答える!

実体験から語る、システム会社に入るための“資格”とのつきあい方 「えっ、資格っていらないんですか!?」 面接でよく聞かれる質問。でも、私の答えはいつもこうだ。「ケースバイケースですね!」 いろんな意見があるこのテーマ。今回は、システム会社で実際に働いてきた私の視点から「資格って、いるの?いらないの?」にズバリ答えてみます。 ■ 専門分野では“見える武器”になる データベース、ネットワーク、サーバ管理。これらの分野は特に専門性が高く、苦手意識を持つ人も多いです。だからこそ資格があると、スキルの裏付けになって評価されやすいです。 たとえばIPA(情報処理推進機構)の資格。製品に依存せず、業界標準の知識が問われるので、基礎力を示すにはピッタリ。でも残念ながら、グローバル企業での認知度は低め。なので「国内重視」か「海外志向」かで見え方が変わってきます。 Oracle認定資格など製品特化の資格もありますが、当然その製品に限定されてしまうデメリットもあります。Oracle専業でいくなら強い武器になりますが、MySQLやPostgreSQLでは評価されにくい場面も。 ■ マネジメント系資格は、あってもなくても… プロジェクトマネージャーにはPMPやIPAのPM試験といった資格がありますが、正直「持ってないけど優秀」な人が多いのも事実。ドキュメント整備には役立つけど、現場でそれが100%活かされているかというと…?というのが正直なところ。 経験で身につけた勘や調整力が重視されることも多く、「資格はないけどできる人」は確かに存在します。 ■ プログラミングは資格より“実績”がものを言う! プログラミングについては、資格よりも圧倒的に“実績”です。「この言語が書ける」だけではなく、「こんな課題をこう解決した」「このライブラリをどう工夫して使った」といった経験が評価されます。 つまり、コードが書けるだけでなく、現場で起きる“バグ”や“仕様変更”にどう対応できるか。それこそが、求められるスキル。 資格は確かに知識を証明できますが、それだけで即戦力にはなれません。 「資格を取るくらいなら、自分で小さなシステムを一つ作ってみたら?」 そんなふうに考える方が、結果的に力になることもあります。     ■ 結論:「資格は武器。でも、必須...

この人がエンジニア⁉ テレビ見てただけの父の本当の顔 ー無口な父とガレージで育った少年が、システムエンジニアになるまでの物語

うわ、父さんすごっ! と初めて思ったのは、高校生の時だった。 いつも無口で、家ではご飯を食べるかテレビを見るか、そんな父が、たったA4一枚の設計図を見て、翌日には立派な机を作ってくれた。材料はどこかの余りもの、工具も年季の入ったガレージのものばかり。それでも、自分が頭の中で思い描いていた「ぴったりの机」だった。 ■エンジニアと知らなかった父 父は、医療機器を扱う工場で働くエンジニアだった。 けれど、当時の私は「エンジニアってなに?」状態。パソコンを使ってる人?英語を話す人?白衣を着てるの?……そんな曖昧な印象しかなかった。 父は仕事のことを話さない。 もちろん、仕事場にも連れて行かない。 何を作ってるのかも知らず、ただ「工場に行ってる人」という感覚だった。 ■教えてくれなかったけど、伝わっていたこと ガレージには、見たことのない工具や木材、機械の部品が散らばっていた。 私は小学生の頃、よくその中で木を切ったり、釘を打ったりして遊んでいた。危ないからと叱られた記憶はない。 たまに、工具の名前や使い方をポツリと教えてくれたが、それだけ。基本的には見て覚えろ、というスタンスだった。 父は家の修理も、何も言わずにサッとやっていた。今で言えば「DIY」。でも、当時はそれが父の日常だった。 ■母が教師、父がエンジニア。進路はこの2択 母は小学校の教師だったから、勉強はすべて母に見てもらっていた。 だから自然と、進路は「教師になるか、エンジニアになるか」の二択。 当時はそれが当たり前だと思っていたが、今思えば、ずいぶん視野が狭かったと思う。 結局、選んだのは「エンジニア」。 でも、時代は変わっていた。 工場勤務ではなく、パソコンとインターネット、プログラムを書くシステムエンジニアの道だった。 ■父のすごさが、あとから分かってくる 仕事を始めて、自分で設計したり、トラブルを解決したりするうちに、ふと父のことを思い出す。 「そういえば、父さん、こういうの全部一人でやってたんだよな……」 とにかく手際がよかった。ムダがなかった。 あのガレージに転がっていたものの数々、きっと全部、意味のある道具だったのだろう。 ■感謝と決意 父は、何も教えてくれなかった。 けれど、私の中に「技術って、かっこいい」「モノづくりって面白い」と思...

「翻訳係」だった僕が、英語でプロジェクトを動かす人になった話 〜英語×システム×交渉力が人生を変えた〜

英語ができるねって言われて嬉しかったのに…! 最初の衝撃は、配属初日のミーティングだった。 「この資料、英語で訳しておいて」 プロジェクトの中核に携わるはずだった僕が任されたのは、まさかの“翻訳作業”だった。 20年前、英語が話せることは確かに“便利”だった。でも、それは「翻訳や通訳を任せられる便利屋」という意味であり、「プロジェクトの中心人物」になるにはほど遠かった。 僕はシステムエンジニアとして現場に入り、要件定義から設計、開発、テスト、導入までやってきた。にもかかわらず、英語ができるがゆえに、ただの「通訳者」として扱われてしまったのだ。 📉システムの話になると、なぜか呼ばれなくなる 翻訳や海外とのやり取りは任される。だけど、開発の“中身”の話になると、自分は会議から外される。 英語が話せるだけじゃダメだ、システムの中身を英語で話せる人にならないと、本当の価値は生まれない――そう気づいたのは、その数年後だった。 実際、プロジェクトの“本当に英語が必要な瞬間”って、開発フェーズの深い部分。バグ修正の仕様確認や、設計思想のすり合わせ、契約範囲の解釈など、まさに「英語×システム」の交差点。そこに入れる人は、当時ほとんどいなかった。 💡翻訳AIの進化と、自分の「価値」の再発見 時代は進み、翻訳技術も目まぐるしく進化していった。 Google翻訳やDeepLが台頭し、「英語ができるだけ」の人は徐々に役割を失っていった。 でも僕は、そこからが勝負だと思った。 英語とシステムの両方を深く理解し、それを使って“交渉”できる人。つまり、プロジェクトを前に進められる「技術×言語×交渉」の三刀流になれば、まだまだやれる! 🧠交渉力は、経験からしか生まれない 最初は、海外メンバーとのやりとりで失敗の連続だった。 「それ、契約に含まれてると思ってたんだけど…」 「うちの標準プロセスにないから無理だよ」 でも、少しずつ分かってきた。相手が何を優先していて、どの言葉が交渉の「軸」になるのか。経験を重ねるごとに、言葉だけでなく「駆け引き」も覚え、自然とプロジェクトのキーマンのような役割になっていた。 🚀英語×システム=未来のあなたの武器 最初は、英語ができるというだけで翻訳係になるかもしれない。 でも、経験を積んで、知識を増やして、成...