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これ、何をコンサルすればいいんだ!?——社内コンサルとして現場に立った日の違和感

「答えを出す仕事」だと思っていた自分が、最初に突きつけられた問い うわっ……思っていた“コンサル”と、ぜんぜん違う! そんな感嘆にも似た違和感を覚えたのは、社内コンサルとして証券系のプロジェクトにアサインされた、その初日だった。     ◆ 社内コンサルとして現場に入るということ 社会人になって二度目の「お客様プロジェクト」。 場所は、少し年季の入った古いビル。中には複数のプロジェクトが同時に走っていて、独特の緊張感が漂っていた。 そこでふと浮かんだのが、 「……で、私は何をコンサルすればいいんだ?」 という、根本的な問いだった。 ◆ 求められていたのは“答え”ではなかった 私に求められていた役割は、Justwareそのものの使い方だけではなかった。 Justwareを どう設計し、どう各プロジェクトフェーズに適用していくか 。 要件定義、設計、開発、テスト——それぞれの段階で、どんな設計思想を持つべきか。 その考え方を整理し、支えることだった。 ◆ 説明する相手は「新人」ではない 数人規模の説明会。 やっていること自体は、新人向けにこれまで何度も説明してきた内容と似ていた。 でも、目の前にいるのは各社のプロフェッショナルエンジニアたち。 顔つきが違う。 空気が違う。 「下手したら、鋭く突っ込まれるかもしれない」 そんな、恐怖に近い感覚すらあった。 ◆ 自分が作ってきた“プラットフォーム”を語る 説明したのは、これまで自分が関わり、作ってきたプラットフォームの考え方。 Justwareを“どう使うか”ではなく、 「なぜ、そう設計してきたのか」 「どんな失敗と改善を重ねてきたのか」 話しながらも、心のどこかで不安が消えなかった。 「本当に受け入れてもらえるだろうか?」 ◆ 今思えば、それは杞憂だった 振り返ってみれば、その不安の多くは杞憂だった。 ちゃんと向き合えば、プロはちゃんと聞いてくれる。 もっと自信を持っても、良かったのかもしれない。 でも当時の自分は、それだけ真剣だった。 だからこそ、その現場に真正面から入っていく覚悟ができたのだと思う。 ◆ 違和感は、成長のサイン 「コンサルとしての違和感」。 それは、役割が変わり、視座が一段上がったサインだった。 答えを出すだけ...

もう先輩!?――30人を前に立った日の話

新人だった自分が、教える側に立つまで うわっ、先輩ってどう振舞うんだ!? そんな言葉が、頭の中をぐるぐる回っていた。 気づけば私は、新人の教育係として紹介される立場になっていた。 空いた時間でお小遣いを貯めよう!「アイリサーチ」       突然始まった「教える側」の役割 今年の新人たちを対象に、2か月間でアプリを作り上げる研修プロジェクトが立ち上がった。 内容を聞いた瞬間、「え、自分が?」と心の中でつぶやいたのを覚えている。 準備は、もう一人の先輩と二人三脚。 研修内容を詰め、スケジュールを引き、どこでつまずきやすいかを想像しながら資料を作る。 「これ、新人に伝わるかな?」 そんなやり取りを、何度も繰り返した。 配属発表と、少し張りつめた空気 その年の新人の配属が、少しずつ決まってきた。 部長や課長が各部署を回り、挨拶と業務内容の説明をしていく。 その様子を後ろで見ながら、「もうすぐ本番だな」と、静かに覚悟が固まっていった。 そして迎えた懇親会。 私も“先輩”として参加することになった。 初対面30人、そして「研修をリードする先輩」 会場に入った瞬間、視線が一斉にこちらを向く。 初めて顔を合わせる30人。 その場で私は、「今回の研修をリードする先輩です」と紹介された。 ドキドキした。 いや、正直に言うと、かなりドキドキした。 いきなり、30人の先生役。 しかも、みんななんだかプログラミングができそうな顔をしている。 「このメンバーに教えていくのか……」 期待と不安が、同時に押し寄せてきた。 距離感も、緊張も、全部ひっくるめて 話しかけてくれる人。 少し距離を取る人。 やけに距離感が近い人。 本当に、いろいろいる。 会話をしながらも、手のひらにじんわり汗がにじんできた。 「結構、緊張してるな、自分」 そう自覚した瞬間、少しだけ肩の力が抜けた。 完璧な先輩じゃなくていい。 まずは、ちゃんと向き合えばいい。 そんな考えが、ふと浮かんだ。 来月から始まる、本当のスタート 懇親会の帰り道、先輩と二人で話した。 「来月から研修始まるね」 「ちょっとドキドキするね」 その一言で、すべてがつながった気がした。 不安なのは、自分だけじゃない。 だからこそ、...

消えた部署、残された私——Renault研修“運命の2カ月”

ある日突然、居場所がなくなったロジスティクス研究員の話 【衝撃の始まり】部署が“丸ごと消える”なんて聞いてない! うそでしょ!? 部署が丸ごと消滅するなんて、誰が想像しただろう。 フランスのRenault社で8カ月の研修に励んでいた私は、残り2カ月というタイミングで“人生最大級の通知”を受け取ることになる。 空いた時間でお小遣いを貯めよう!「アイリサーチ」       【多国籍の不思議な部署】人間工学 × ロジスティクスの混合チーム 私が所属していたのは、人間工学(運転のしやすさ等)と物流最適化が混ざった、少し珍しい研究部署。 私はロジスティクス側で、メンバーはフランス生まれの日本人上司、陽気なフランス人課長、ロシア・ベラルーシなど多国籍。ほとんどが大学院に所属しながら研究しており、理論やシミュレーションソフトを使った分析は、正直かなり難しかった。 【日産方式に挑む】トヨタもできない“完全受注生産”の謎に迫る そんな中で舞い込んだのが、日産生産方式の分析タスク。 Renaultでもトヨタでも達成できない“完全受注生産”を、日産はなぜ実現できたのか。不良が出ても工程をコントロールし、計画順通りに生産するという徹底ぶり。 もしこれを分析・シミュレーションし、現場に落とし込めれば、Renaultにとっては大きすぎるほどのメリットがある。 私は毎日シミュレーションを回し、必死にデータを積み上げていた。 【知らせは突然に】まさかの部署解体、そして…私の名前がない そんなある日、深刻なニュースが届いた。 「部署が統合され、ロジスティクス研究チームは解体される」 人間工学側は存続するが、ロジスティクスは完全消滅。 大学院所属の研究者たちは別部署へアサインされ、研究は継続されるらしい。 では私は? 日本から来た留学生で、準社員でもない。 案の定、私だけアサイン通知が来なかった。 【受け取る部署がない】努力が宙に浮いた瞬間 「レポート提出します」と上司に言うと、返ってきた言葉は残酷だった。 「提出しても、受け取る部署がないんだ」 あっさりした口調に、胸の奥がズキッと痛んだ。 積み上げた分析もデータも、誰にも届かない。 残り2カ月、私は“ただ座っているだけの研修員”になった。 悔しくて、情けなくて...

システム屋からコンサルへ──契約に生きる日々が始まった

うわっ、システムが動かないのに仕事が終わる!? そんな衝撃から、私のコンサルとしての日々が始まりました。ベンダー時代、私は“動くシステムを作ること”こそがゴールだと信じていました。けれど、コンサルの世界ではゴールは「契約で決められた完了」。そこには、まったく違うルールと緊張感が広がっていたのです。 要件定義に明け暮れる日々 ベンダーの頃は、開発スケジュールを追いかけながら「サービスだ!」なんて言いながら、つい余計なところまで手を出していました。ところがコンサルになってからは真逆。要件をいかに細かく整理し、いかに正確にベンダーに渡せるかが勝負です。ものが形になる前の段階で、ひたすら契約範囲を定義していく。ものを作らないからこそ、頭の中で“どう具現化するか”を描ききる必要がありました。 プロジェクトは短距離走の連続 1カ月から3カ月で動くプロジェクト。慣れたかなと思ったら、もう次の案件。常に走りながら、次の種を探す。飲み会の席ですら「次のプロジェクトにつながるか?」と耳を澄まし、人とつながる。営業マンではなく、実力あるマネージャーがチームを売り込む姿を横で見ながら、「コンサルの仕事はプロジェクトだけで終わらない」と痛感しました。年間の営業ノルマを意識しながら走り続ける──そんな緊張感が、刺激でもありプレッシャーでもありました。 戸惑いと楽しさのあいだで 正直、戸惑いも多かった。これまでは「動くもの」をつくることで達成感を得ていたからです。でも、コンサルとしてお客様と直接話し、情報を整理し、問題を解決する。そのプロセスが驚くほど面白い。モノではなく「価値」をつくる実感がありました。会話の端々からお客様の困りごとを拾い、それを解きほぐす日々は、まさに刺激の連続だったのです。     結論──私ならできる! コンサルの日々は、ゴールが明確で、契約が命。そこにはベンダー時代にはなかった厳しさと、同時に、新しい楽しさがありました。短距離走の連続に戸惑いながらも、お客様とともに問題を解決できることに、大きなやりがいを感じています。 だからこそ思うのです。「私ならできる!明日から踏み出す一歩が、次のプロジェクトへの扉を開く」。

ベンダーからコンサルへ飛び込んだ日──戸惑いと歓びの狭間で

ドキドキの最初の転職 「うわっ、これ本当に自分が選んだ道で大丈夫か!?」 初めての転職の時、心臓がバクバクして眠れなかったのを今でも覚えています。毎回の転職が順風満帆だったわけではありません。むしろ、最初の一歩は大きな賭けでした。日立という巨大なベンダーから、全く別のフィールドであるデロイトへ。ビッグネームからビッグコンサルへの移籍は、私にとって挑戦そのものでした。 面接からの急展開 面接を担当してくださったパートナーの方は、驚くほど決断が早い方でした。私はまだ未熟な部分も多かったのですが、「チャレンジ採用」としてチャンスをいただけたのです。喜びと同時に、心のどこかで「これはすぐに試されるぞ」と直感していました。そしてその直感は的中。入社直後から昇進チャレンジが始まり、息をつく暇もないスタートとなりました。 指示が来ない世界 日立時代は、細かい指示が降りてくる環境でした。マニュアル的で安心感もある一方、自分の考えを挟む余地は少なかった。ところがデロイトでは違います。入社して最初に気づいたのは「会社は助けてくれない」という現実。プロジェクトに入れば、成果を出すのは自分たちであり、チームであっても個人への依存が大きい。しかも、デロイト品質を担保しながら。正直、最初は戸惑いの連続でした。 ベンダーとコンサルの違い 効率的に動いていると思っていたコンサルの世界。しかし実際はそう単純ではありません。オフィスに遅く来て深夜まで残る人も多い。資料作りは速いが、その裏でプログラムを理解しているのか分からないメンバーもいました。そんな中、ついプログラムの中身を覗いてしまう自分に苦笑い。ベンダー出身だからこそ手を動かしたくなる。そこに大きな文化の違いを感じました。 相談される喜び ただ、一番うれしかったのは「相談される」という経験でした。ベンダー時代は「依頼」や「指示」を受ける立場が中心で、自分の意見を顧客にぶつける場面は少なかった。ところがコンサルでは違います。顧客から「どう思いますか?」と問われ、自分の経験や知識をもとに答える機会が増えました。その瞬間、「あ、これは自分にしかできない価値だ」と強く感じたのです。 空いた時間でお小遣いを貯めよう!「アイリサーチ」     明日への一歩 ベンダーからコンサルへの転職は、戸惑いの連続でした。でも、...

えっ!? システム屋なのに世界を飛び回ってるの!?

学生時代からの“種まき” 「海外で働くエンジニア」──そんな姿に憧れを抱いたのは大学時代のことです。私は学生時代、カナダとフランスに1年ずつ滞在しました。北米の自由な学び、ヨーロッパの歴史を感じる日常。その中で、語学とともに「違う文化の中で生きることは、自分を大きく広げる」という感覚を身につけました。 語学は得意な方で、英語はそこそこ。専門であるシステム分野なら、簡単な通訳ができるレベルです。さらにフランス語もある程度話せ、最近は中国語にも挑戦中。今振り返ると、学生時代からの“種まき”が、後のキャリアにおいて大きな強みとなっていったのです。 出張と駐在のリアル 社会人になってからも、その延長線上に夢は広がりました。海外出張の機会は決して少なくなく、アメリカ、インド、スイスなど、数え切れないほど飛び回りました。日立時代には、ベトナムやシンガポールへの滞在経験もあります。 特に印象に残っているのは、ベトナムでの3か月間。日本企業のシステムを調べるタスクを任され、現地に入り込んで仕事をしました。しかし、日本からの指示はあいまいで、現場での判断は極めて難しい。ベンダーという立場で動いていた私は、自分の意見を強く押し出せず、コミュニケーションに苦労しました。 「海外駐在」と聞くと華やかなイメージを抱く人は多いでしょう。ですが現実は、日本で仕事をしている時よりも決定権が少なく、与えられた枠の中で動かざるを得ないこともしばしば。時差や文化の壁を超えながら、常に“制約条件”の中で戦っていました。 理想と現実のギャップ そんな日々の中で、ふと学生時代を思い出しました。カナダやフランスで見た海外エンジニアの姿は、自信に満ち溢れ、グローバルな舞台で堂々と議論をリードしていました。しかし、自分はどうでしょうか。現地にいても、日本からのあいまいな指示を待ちながら、ベンダー意識に縛られたまま。憧れた理想とは、あまりにかけ離れていることに愕然としました。 「何が何でも海外で働きたい!」──その気持ちは本物です。でも、現実は甘くありません。立場を固めなければ這い上がることは難しく、道も見えない。まるで真っ暗なトンネルを、手探りで進むような感覚でした。 ベトナムで気づいたこと ベトナムでの3か月間は、私にとって大きな気づきの連続でした。 ・日本からの指示があいまいだと、現地は...