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泊まれるの!?――不夜城を支える“見えないホテル”の話

金融最前線、COBOL終焉、そしてWeb革命のただ中で うわっ、ここは本当に昼と夜の境目がない街なのか!? 社会人3年目から4年目に入ろうとする頃、私は金融系企業の最前線プロジェクトにいた。 空いた時間でお小遣いを貯めよう!「アイリサーチ」       ■金融最前線という名の不夜城 そこは長年、COBOLで基幹システムを作り込み、巨大で堅牢な仕組みを築き上げてきた世界。止まらないことが絶対条件。1秒の遅延も許されない緊張感。 しかし、時代は大きく揺れ始めていた。——時はまさにCOBOLの終焉。 ■Web時代の幕開け ホームページは「会社案内」ではなくなりつつあった。問い合わせを受け、データベースとつながり、業務そのものを動かす入口になる。 Javaの機能拡張は、その変化を強く後押ししていた。 私たちは社内で作ったJavaのWebアプリケーションフレームワーク、さらにシステム間連携アプリケーションのフレームワークを適用し、新しい金融の姿を描こうとしていた。 ■気がつけば、どっぷり 最初は「最前線で学べる」と胸を躍らせていた。 だが、気づけばプロジェクトにどっぷり。 深夜残業は当たり前。 「机で寝る?」 「終電、間に合うかな?」 そんな会話が自然に飛び交う。 ほぼ毎日、終電ダッシュ。 それでも、終電を逃す人が何人かいる。 「え?あの人たち、どこに泊まってるの?」 ■先輩が教えてくれたこと ある夜、先輩がぽつりと言った。 「会社、近くのホテルと契約してるんだよ」 何室かキープしていて、空いていれば優先的に泊まれる。会社名を伝えれば、チャージはすべて会社負担。 「急に終電逃しても、そこ行けばいい」 ——え?そんなことあるの? ■見えない“夜のインフラ” 衝撃だった。 会社は、挑戦する人を放り出していなかった。 最前線で戦う人たちを支える、見えないインフラがあったのだ。 もちろん、働き方として理想かと言われれば議論はある。だがあの時代、Web革命の渦中で、組織は本気だった。 一生懸命働く人を、きちんと守る仕組みを用意していた。 ■今、振り返って思う プロジェクトは技術だけで動かない。 人が動くから、未来が動く。 そして人を支える仕組みがあるから、挑戦は継続できる。 あの“不夜城”を支えていたのは、Javaでもフ...
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助言者のはずが最前線!?――コンサルとプロジェクトリーダーの境界線

― 作ったプラットフォームに、人生まで巻き込まれた話 ― うわっ、気づいたら“評論家”のはずが“徹夜組”の一員になっていた! 空いた時間でお小遣いを貯めよう!「アイリサーチ」       ■ 社内コンサルとしての使命 私は、自分が作ったプラットフォームを社内に浸透させるため、いわば“社内コンサル”の立場に立っていた。 使い方を説明し、思想を語り、未来の運用まで見据えた設計を求める。 さすがプラットフォーム。 検討しにくい細部、もっと先の運用フェーズで問題になる論点まで、設計段階で考えることを前提としている。 私は、それでいいと思っていた。 自分が作ったものだからこそ、その理想に疑いはなかった。 ■ しかし、現実のプロジェクトは甘くない そのプロジェクトは、人が少ない。 設計する人も足りない。 プログラミングする人も足りない。 深夜残業が常態化していた。 私は社内コンサルとして、設計レビューをし、使い方を教えていた。 だが、そもそも設計に必要な情報がない。 開発プロジェクトは情報が少ない。 顧客側も、作る人と運用する人は別。 ベンダー側も、開発担当と運用サポートは別。 だから、運用の要望や将来の課題は、設計段階ではほとんど出てこない。 それでも私は言う。 「運用まで考えましょう」と。 だんだん、言いづらくなってきた。 この状況で“コンサルです”とは。 ■ 手を出すという決断 人は少ない。 検討すべきことは多い。 となると、自分もやるしかない。 私は設計に手を出し始めた。 プログラミングにも手を出した。 研修も受けてきたし、一定の自信はある。 だから、やれる。 そう思った。 そして、ふと気づいた。 自分もしっかり深夜残業組の仲間入りをしていた。 ■ コンサルか、リーダーか コンサルは“答えを示す人”。 プロジェクトリーダーは“背負う人”。 私はどちらなのか。 でも今は、役割よりも大事なものがある。 プロジェクトを前に進めること。 理想と現実の間を埋めること。 助言だけでは、未来は作れない。 手を動かしてこそ、信頼は生まれる。 だから私は、両方やる。 考え、設計し、書き、支える。 私ならできる!明日から踏み出す

こんなに個性的!?——プロジェクトは“人間交差点”でできている

社員3名。でも物語は無限大 うわっ、たった3人のはずなのに、どうしてこんなに賑やかなんだ! このプロジェクトは社員3名で走っている。資料上は小規模、予算も大きくない。だが、実際に現場に立つと違う。関わる人は想像以上に多い。応援に入る人、横から助言する人、ただその場にいるだけで空気を変える人。プロジェクトとは「人数」ではなく、「関わる人の多様さ」でできているのだ。     50代リーダーの背中が示すもの 中心にいるのは、50代でプロジェクトをリードしている人。派手さはない。だが、迷いがない。若手の意見を聞き、必要な場面では決断を下す。その姿は、長年の経験に裏打ちされた静かな強さだ。プロジェクトがぶれないのは、彼が“軸”を握っているからだ。 働き方は十人十色 定時になると颯爽と帰る人がいる。一方で、なかなか帰らず、最後まで残る人もいる。声が大きく、会議の空気を一瞬で支配する人。お昼は必ず机で寝ると決めている人。ずっと席にいるけれど、正直、成果がどこにあるのか分からない人もいる。 新幹線通勤で遠くからやってくる人もいれば、職場の近くに住み、誰よりも早く来ている人もいる。距離も、リズムも、価値観も違う。それでも同じゴールを目指している。 “ほとけ”という存在 一番上の人は、なぜか「ほとけ」と呼ばれている。いっつもニコニコしている。怒らない。焦らない。だが、何をしているのかは少し不明だ。それでも、彼がそこにいるだけで場の緊張が解ける。まさにプロジェクトのキャラクターマスコット的存在。見えない安心感が、チームを支えている。 人がいるから、前に進む プロジェクトは、完璧な人材で構成されているわけではない。むしろ、ばらばらだ。だが、その違いこそが推進力になる。声が大きい人が勢いをつくり、静かな人が土台を固め、リーダーが方向を示す。 いろんな人に支えられて、プロジェクトは今日も動いている。成果は個人のものではなく、関わる全員のものだ。 だからこそ思う。 この多様さを力に変えられるのは、私たち自身だ。 私ならできる!明日から踏み出す

最新Javaより強い!?――50代課長が現場を動かす本当の理由

― 技術進化の裏側で、静かにプロジェクトを支える存在 ― うわっ、最新バージョンのJavaより、この人の一言のほうが現場を動かしている!? システム開発の現場で、結構不思議だったことがある。 作っているのはJavaによるWeb中心の開発。Javaは結構新しい技術だし、最近もバージョンアップしたばかりだ。その変更点を十分理解し、オブジェクト指向も踏まえて設計しなければならない。正直、追いかけるだけでも大変だ。 だから私は思った。 経験があるとはいえ、50代の人って、これどうやってついて行っているの?     ■ 若手が強い領域、ベテランが強い領域 確かに、金融の仕組みは若い人には分からないことが多い。しかし、Javaの最新仕様は若手のほうが詳しいこともある。では、50代の課長は何をしているのか。Javaのプログラム設計そのものをゴリゴリ書いているわけではない。 彼らの役割は別にあった。 ■ 業務を構造に落とす力 金融システムの仕組みを理解し、それをシステム構造に落としていく。業務フローを整理し、要件を明確化し、詳細設計や画面設計をレビューする。 最新のプログラムが分からなくても、十分どころかリードできる。 なぜか。 業務を知っていることの重み。 そして、開発プロジェクトそのものを知っている強み。 ■ プロジェクトを動かすのは“経験値” 開発計画を立てる。 テスト計画を策定する。 テスト内容をレビューする。 人員計画を考え、各メンバーを教育し、作業計画を整理する。 やることは山ほどある。それを計画し、一つ一つ積み上げていく。 経験があるエンジニアだからこそ、全体を俯瞰し、優先順位をつけられる。 私たち一次受けの立場から見ても安心してお願いできる存在。 まさにベンダーの重鎮だ。 ■ 「新しい技術を知っている」だけでは足りない 新しいプログラムを知っているから何? そんな言葉が背中からにじみ出ているようだった。 技術は進化する。しかし、業務理解、構造化力、計画力、人を束ねる力は一朝一夕では身につかない。彼らがいないと、開発は回らない。 とっても頼りになる存在だ。 技術を追い続ける若手と、構造を支えるベテラン。その両輪があってこそ、プロジェクトは前に進む。 年齢は壁ではない。 役割が進化し...

ここ、帰らない人しかいない!?――やっぱり、現場は現場だった

システム開発の“本当の温度”は、夜に現れる うわっ……ドアを開けた瞬間、タバコの匂いと熱気が一気に押し寄せてきた。 それが、私が初めて足を踏み入れた システム開発の最前線 だった。 ■ タバコの匂いが漂う開発部屋 整ったオフィスやオンライン会議に慣れていた私にとって、その開発部屋は別世界だった。 少し薄暗く、モニターの光だけが浮かび上がる空間。 ここが、今まさに動いている“現場”なのだと、肌で感じた。 ■ 現場の重鎮と仲良くなる方法 この現場には、私と同じ社員はわずか3名。 他は関係する開発社員さんたちで、しかも 2社が同じ現場に入り、開発領域を取り合っている関係 だった。 だからこそ、私は考えた。 「まずは現場の重鎮と仲良くなろう」と。 同じ年代の人を見つけ、勇気を出してご飯に誘った。 肩書きよりも、人として向き合うこと。それが最短ルートだった。 ■ 夜になると、現場の顔が変わる そして、私が「現場だなぁ」と強く思ったのは、 夜 だった。 定時になっても、帰る人はゼロ。 8時を過ぎて、ようやく一人、二人が帰りだす。 10時を超えると、少しソワソワした空気が流れ、20代の人たちはだいぶ帰宅している。 それでも、 まだ半分は残っている 。 ■ 不夜城と呼ばれる理由 11時。終電を気にして急ぐ人たちが出てくる。 12時。私も終電に向かって席を立つ。 それでも、まだ残っている人たちがいる。 「あれ?」と目を向けると、50代の人が、変わらずキーボードを叩いている。 帰らない人たちが、確かにそこにいた。 ――不夜城と呼ばれる現場。 都市伝説だと思っていたけれど、 実在していた 。 ■ やっぱり、現場は現場 効率や働き方改革の議論は、もちろん大切だ。 でも、現場には、数字や資料では測れない“熱”がある。 その熱を知っている人たちが、最後まで残っていた。 私は思った。 やっぱり、現場は現場だ、と。 私ならできる!明日から踏み出す

エンジニアの中心は若者じゃなかった——現場で見た“本当の主役”

年齢の先にあったのは、圧倒的な「経験知」だった うわっ……その人が、全部決めていたの!? プログラミングやシステム開発と聞くと、どんな人を思い浮かべるだろうか。多くの人が「若い」「30代くらい」「最新技術に強い人」と答えるのではないだろうか。私自身も、ずっとそう思っていた。 空いた時間でお小遣いを貯めよう!「アイリサーチ」       若手が前に立つプロジェクトの記憶 これまで関わってきたプロジェクトでは、実際に30代のエンジニアが前面に立ち、プロジェクトをリードしていた。 プラットフォーム開発でも、40代の課長が大きな方針を決め、30代のメンバーが各エリアの開発を引っ張る。そんな構図が当たり前だった。 Javaも、当時はまだ「新しい」プログラミング言語だった。 だからプラットフォーム開発は、40代から20代までの比較的若いメンバーで作られている。私は、ずっとそういう世界を想像していた。 現場で目にした、想定外の光景 ところが、実際の現場に足を運んだとき、私は本当に驚いた。 プロジェクト全体をリードしていたのは、50代のエンジニアだったのだ。 特に業務中心の領域では、60歳に近い人が意思決定をしている。 「あの人が、すべての仕様を決めている」 誰もがそう口を揃える存在が、確かにそこにいた。 “あの人”の正体 その人は、超が付くほど経験豊富なエンジニアだった。 Windowsが世に出る前から、システムを支え続けてきた人。 技術だけでなく、金融という業界そのものを知り尽くしている。 30代のエンジニアでさえ、まだまだペーペーと言われる世界。 「システムのこと」と「金融のこと」、その両方を本当に理解している人は誰か。 答えは、迷いなく“あの人”だった。 重鎮がつくる、揺るがないシステム その人は、お客様からも絶大な信頼を得ていた。 派手さはない。最新技術を声高に語ることもない。 しかし、その人が形作るシステムは、金融業界の根幹を静かに支えている。 エンジニアの中心は、若者だけではない。 現場を見て、私はその事実をはっきりと理解した。 年齢ではなく、積み重ね 年齢は関係ない。 問われるのは、どれだけの修羅場をくぐり、どれだけの責任を背負ってきたか。 その積み重ねこそが、最後にシステムを...

そこから始まるの!?――日本の金融を支えた“環境整備”という名のプロジェクト

見えない土台が、すべてを決めていた うわっ……鼻を突くたばこの匂いと、重たい空気! 2010年が近づいていたある頃、私は東京の主要駅近くにある、とある開発現場へ向かっていた。交通の便は悪くない。むしろ、有名な“満員電車路線”の駅だ。ぎゅうぎゅうの電車に揺られて辿り着いた先は、日本の金融の大元を司る会社のシステム開発ルームだった。 空いた時間でお小遣いを貯めよう!「アイリサーチ」       ミスが許されない、極限のシステム そのシステムは、長年にわたり** 日立 **が受けてきたもの。 ミスるわけにはいかない。 もし一つでも誤れば、影響は金融業界全体に及ぶ。 下手をすれば、翌日の新聞に載る。 そんな、緊張感の塊のようなシステムだった。 舞台は“理想”から程遠い場所 だが、その重要システムが作られていた場所は、驚くほど古かった。 開発ルームの一角は薄暗く、たばこの匂いがぷーんと漂う。 絨毯は年季が入り、色もくすんでいる。 正直、モチベーションが上がる環境ではない。 それでも仕事は始まる。 絨毯をめくり、さらにその下のOAフロアを持ち上げ、ネットワーク配線に手を入れる。 机は片足が折れ、隣の机にもたれかからせて、なんとか形を保っているものもあった。 社員3人、あとはベンダーという現実 話を聞くと、常駐している社員はわずか3人ほど。 あとは複数社のベンダーさんたちだ。 社員の役割は、開発方針を語ることよりも、 「環境を整える」「サーバを配置する」「パソコンを用意する」こと。 驚いたのは、パソコンが割り当てられていない開発者がいたことだ。 光の入らない部屋に人が密集し、最低限の設備を奪い合うような状態。 それでも、日本の基盤を支えるシステムは、確かにここで作られていた。 環境整備も、立派なプロジェクト この現場で痛感した。 環境整備は“前段”ではない。 それ自体が、成功を左右する プロジェクトそのもの だということを。 どれほど優秀な設計書があっても、 どれほど優れたエンジニアがいても、 環境が整っていなければ、成果は最大化しない。 見えないところを整える人がいるからこそ、 表に出るシステムは、静かに、確実に動き続ける。 私ならできる!明日から踏み出す