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「システム屋」って名乗っちゃダメなの!?——分業時代にあえて“全体”を語る理由

専門を超えて、構造をつくる仕事の話 えっ!? その質問、そこに来る!? 私は、昔から自分のことを「システム屋」と呼んでいます。ところが、そう名乗ると、決まって返ってくる質問があります。 「で、システムのどの部分ですか?」 これ、ちょっと考えると不思議なんですよね。 空いた時間でお小遣いを貯めよう!「アイリサーチ」       建築家には聞かれない、不思議な質問 例えば、建築の世界。 「建築をやっています」と言った人に対して、「どの部分ですか?」と聞くでしょうか。あまり聞かないはずです。 建築には、解体、基礎、コンクリート、左官、電気、水道など、数えきれない技術が絡みます。一級建築士や二級建築士、プロジェクトマネジメントの専門家もいれば、実際に手を動かさない人たちも含め、多くの人が関わっています。 それでも「ビルを建てています」と言えば、それで通じる。 どこか一部分だけを指しているわけではないからです。 私が歩いてきた“全般”の道 私は、プログラマーからキャリアを始めました。 次にDBを得意分野にし、ネットワークを学び、ハードやサーバ構成も勉強しました。さらに統計解析にも取り組んできたので、AIと言われても基礎技術は一応理解しているつもりです。 AWSのエンジニアと話しても、全般的な話ができます。 そして、その全般が分かった上で、PMをやってきました。 正直、それがシステム業界では「普通」だと思っていたんです。 「システム担当」って、そういう意味じゃないの? だから「システム担当です」と答えるとき、 私はその全般知識があるものとして話していました。 さらに、全体を俯瞰してシステムポートフォリオを考える、エンタープライズ・アーキテクトの考え方も学んできました。 なので、システム関係であれば、上から下まで話せる。 「システム担当って、こんなもんだろう」と思っていたんです。 分けられると、なんだか違和感が残る ところが個人事業として話をすると、 「プログラマーですか?」 「DB担当ですか?」 「ネットワークですか?」 と聞かれます。 いやいや、それだけじゃない。 DBだけでシステムは動かないし、ネットワークがつながっても、どう使うかがなければ意味がない。 だから私は、全般なの...

年が変わるだけで心拍数が上がる!?——システム屋と大晦日の静かな戦い

カウントダウンの裏側で、私たちが気にしていること うわっ、紅白よりもログ画面を見ている自分がいる! 世の中が年越しムード一色になるころ、システム屋の頭の中は少し違う方向に向いている。私はシステム屋としては、正直ラッキーな方だと思う。それでも大晦日が近づくと、自然と背筋が伸びる。 空いた時間でお小遣いを貯めよう!「アイリサーチ」       年越しは、システムにとって気を遣う行事 年末年始は、システムにとって「何も起きないこと」が最大の成果だ。 何か設定が間違っていないか。年に伴う設定は入っていないか? 「今年は年号も同じだし大丈夫だろう」「年の表示も1桁から2桁になる年でもない」 そんな確認を一つひとつ潰していく。 よし、今年はまだおとなしい…はず 「よし、今年はまだおとなしい」 そう思っていても油断は禁物だ。年表示に伴うもの、月の変更に伴うもの、あるいは別のシステムとの連携に伴うもの。複雑に絡んだシステムでは、こうしたイベントの時が一番緊張する。 銀行システムと“伝説の年越し” 一時期、銀行のシステムでは、必ず長期休暇に変更が入っていた。 多くのシステム屋が休日返上でオフィスに集まり、日をまたぐ瞬間を見守る。年始はオフィスで迎える——そんな年越しを、多くのシステム屋が経験してきた。 僕はラッキーだったシステム屋 幸いにも、私は年をまたぐプロジェクトに関わることが少なかった。 システム屋としては、かなりラッキーな方だと思う。 もちろん、ゼロではないが、常に最前線というわけではなかった。 運用は、少しずつ変わってきた 今は少し状況が変わってきている。 システム移行作業の範囲を小さくし、なるべく通常の土日や平日に分散していく方式が主流になりつつある。年末年始に大量のエンジニアを抱えると、コストがかかる。特別給料で単価も高くなるし、多くの人が嫌がるためサポートも薄くなる。 「何もない日」に作業するという選択 さらに、年末年始はイベントに伴う急な利用があり、予期しない問題も起こりやすい。 それならば、影響を最小限にし、しっかりとお客様に通知をし、何もない平日や土日に対応する。その方向に、業界全体が舵を切っている。 システムは、生活インフラになった システムは、もはや一部の専門家だけ...

システム屋よ、誇りを取り戻せ!

事業会社で気づいた“低い地位”の真実と、これからの可能性 「えっ!? システム屋って、こんなに肩身が狭いの!?」──事業会社に転職したばかりの私は、思わず心の中で叫んだ。 コンサル時代には、要件定義から検討、開発、ローンチまで一気通貫でプロジェクトを回し、堂々と成果を語れた。ところが、事業会社に入ってみると、システム屋は驚くほど低い位置づけに置かれていたのだ。 ■ 歴史を振り返るとわかること なぜシステム屋の地位は低いのか?それは歴史を見ればよくわかる。 製薬会社では薬を作ること、説明することが企業の中心。エアコン製造会社ならエアコンを作り、販売し、説明することが中心だ。こうした「事業の核」としての業務は、長い時間をかけて社会に認識されてきた。 一方で、システム屋の役割が形を持ったのは、PCが普及し始めたここ数十年のこと。システムは主業務を支えるものであり、各事業部のサポート役として位置づけられてきた。 2000年前後には大規模なシステム部署が立ち上がった時代もあったが、その後ノーコードの発展などで再び「業務支援」の位置に押し戻され、システム屋の立場はバラバラで総じて低めになっていった。 ■ でもちょっと待って! ここで立ち止まって考えてみたい。 今やシステムが関係しない業務なんて、ほとんどないのだ。 ・足で稼ぐ営業も、システムで報告し、AIにサポートされている。 ・製造現場では、システムからの生産指示なくして機械は動かない。 ・顧客対応も、バックヤードも、システムを通してつながっている。 もはやシステム抜きにして業務は語れない。ならばシステム屋はもっと胸を張るべきではないか。 ■ 両方を知る唯一の存在 システム屋は、業務を理解し、同時にシステムも理解している。両方を知る存在は他にいない。つまり「自分がいなければ、この会社の、この業務は回らない」のだ。 考え方次第では、システムはコスト削減にとどまらず、利益を生む仕組みにもなりうる。金融業を見ればわかるように、今やシステムの良しあしが業績そのものを左右する時代になった。各業界も同じ道を進みつつある。 システム屋が会社の“メイン”となる日も、そう遠くはない。 ■ 明日への一歩 システム屋はもっと自信を持っていい。 もっと誇りを持っていい。 私たちは支援役ではなく、未来...

えっ!? システム屋なのに世界を飛び回ってるの!?

学生時代からの“種まき” 「海外で働くエンジニア」──そんな姿に憧れを抱いたのは大学時代のことです。私は学生時代、カナダとフランスに1年ずつ滞在しました。北米の自由な学び、ヨーロッパの歴史を感じる日常。その中で、語学とともに「違う文化の中で生きることは、自分を大きく広げる」という感覚を身につけました。 語学は得意な方で、英語はそこそこ。専門であるシステム分野なら、簡単な通訳ができるレベルです。さらにフランス語もある程度話せ、最近は中国語にも挑戦中。今振り返ると、学生時代からの“種まき”が、後のキャリアにおいて大きな強みとなっていったのです。 出張と駐在のリアル 社会人になってからも、その延長線上に夢は広がりました。海外出張の機会は決して少なくなく、アメリカ、インド、スイスなど、数え切れないほど飛び回りました。日立時代には、ベトナムやシンガポールへの滞在経験もあります。 特に印象に残っているのは、ベトナムでの3か月間。日本企業のシステムを調べるタスクを任され、現地に入り込んで仕事をしました。しかし、日本からの指示はあいまいで、現場での判断は極めて難しい。ベンダーという立場で動いていた私は、自分の意見を強く押し出せず、コミュニケーションに苦労しました。 「海外駐在」と聞くと華やかなイメージを抱く人は多いでしょう。ですが現実は、日本で仕事をしている時よりも決定権が少なく、与えられた枠の中で動かざるを得ないこともしばしば。時差や文化の壁を超えながら、常に“制約条件”の中で戦っていました。 理想と現実のギャップ そんな日々の中で、ふと学生時代を思い出しました。カナダやフランスで見た海外エンジニアの姿は、自信に満ち溢れ、グローバルな舞台で堂々と議論をリードしていました。しかし、自分はどうでしょうか。現地にいても、日本からのあいまいな指示を待ちながら、ベンダー意識に縛られたまま。憧れた理想とは、あまりにかけ離れていることに愕然としました。 「何が何でも海外で働きたい!」──その気持ちは本物です。でも、現実は甘くありません。立場を固めなければ這い上がることは難しく、道も見えない。まるで真っ暗なトンネルを、手探りで進むような感覚でした。 ベトナムで気づいたこと ベトナムでの3か月間は、私にとって大きな気づきの連続でした。 ・日本からの指示があいまいだと、現地は...