言葉が変わると、人も変わる?
「うわっ、同じ人とは思えない!」
グローバル企業に入って数年、ふとした瞬間に感じたのは、同じ人が話す言語によってまるで“人格”が変わるということだった。
同じ会議で、日本語で発言しているときは、どこか冷たく、きつめな言葉を選びがちなある日本人マネージャー。ところが、その人が英語を話し出すと、表情は柔らかく、丁寧な言い回しに変わる。不思議だ。
■ 通訳の人が“空気清浄機”に見える瞬間
たとえば、僕のチームに対して責任を問うような局面があるとする。日本語では「それは貴社の責任ですよね」と、刺すように言われるのに、英語になると「It would be better if your team could support that」となる。語尾も表情も全然違う。
通訳の方が板挟みになる場面もよくある。日本語でピリついた空気のなか、英語に訳すときは少し柔らかく。まるで空気清浄機のような働きをしてくれている。
■ なら、日本人にも優しくしてよ
でも、だったら、日本人にも優しくしてよ!
外国語ができるだけでバイアスが働く。例えば、日本語を話せる外国人に対しては「すごいですね、日本語も勉強されて」と感心される。でも、それって冷静に考えると、仕事の成果とは直接関係がないことも多い。


■ 外国人上司の意外なアドバイス
外国人上司からは、こんなフィードバックをもらったこともある。
「君は、外国人にも日本人にも態度を変えない。とても良いね。でも、日本人にはもう少し“人を見て態度を変えてもいい”かもしれない」
それってどういう意味?と最初は戸惑ったけれど、確かに、日本人には“外国人バイアス”がかからないから、意見が通りにくくなるのだ。
✅ 次回(後編)では、「日本語」という言語が生む厳しさの正体と、無意識の比較文化バイアスについて、さらに深掘りしていきます。
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