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11月, 2025の投稿を表示しています

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まさか研修でここまで!?——フランスで“気を抜く勇気”がくれた世界の広がり

到着直後に感じた“奇妙な安心感” 「えっ、これが研修の“副作用”!?」——フランスに降り立った初日、そんな奇抜な感覚が私を包みました。 最初に頼れたのは、一緒に来た経験豊富な研修生たち。慣れている人がそばにいる安心感は想像以上で、「あ、これはなんとかなる」と肩の力が少し抜けた瞬間でした。 気が張っていた自分——“成果を出さなきゃ”のプレッシャー とはいえ、当時の私は“まじめモード全開”。 ブルカヌスプログラムの名を背負って来ている以上、「成果を残さなきゃ」「評価につなげなきゃ」と気が張っていました。失敗できないという緊張感が常にまとわりついていたのです。     “気を抜いていい”と気づいた瞬間 でも、ある日ふっと思いました。 **「気を抜く時間をつくってもいいんじゃないか」**と。 その瞬間、フランスでの日々は一気に色づき、研修そのものが新しい意味を持ち始めました。 旅がくれた“フランスの本当の姿” ブルカヌスプログラムがくれた最大の機会——それは、ヨーロッパを知るチャンスでした。 現地を知るには、やはり旅行が一番。フランスは陸続きで他国にも行きやすく、LCCが多く、なんと3カ月前に予約すれば 2時間フライトが3000円 という衝撃価格。行かない理由はありませんでした。 国内も国外も——ひたすら“行った・見た・感じた” 実際私は、フランス国内外をとことん巡りました。 国内 :ボルドー、ブルゴーニュ、ニース、モンサンミッシェル 近郊 :パリ周辺の小さな街も魅力だらけ 交通 :TGVのスピード感は旅そのものを楽しくしてくれる 国外 :スイス、ベルギー、ルクセンブルクへ軽快に移動できる 極めつけは、 ギネスを飲むために週末だけ友人と集まる旅行 。 学生らしい、でも最高に無駄で最高に楽しい時間でした。 日本に戻って気づいた“旅の効能” 日本に戻ってから思いました。 もっと気軽に旅行しておけばよかった、と。 いろんな場所を見ると、視野が自然と広がる。 「世界は広い」 でも同時に、 「世界は案外近い」 そんな感覚が、フランスの旅を通して私の中に根付いたのです。 明日からの一歩が変わる——私ならできる! そして今強く思うのは、これだけ。 私ならできる!明日から踏み出す...

日本語なのに通じない!?――フランス人“日本人上司”との距離感に気づいた日

フランスで学んだ、“言語の裏側”に潜む文化と期待値のギャップ ◆ 奇妙な違和感の始まり 「えっ!? 日本語で話してるのに、なぜか通じてない!?」 そんな感覚から、私のフランス研修での気づきが始まりました。 私はフランスで企業研修を行っていました。担当上司はフランス生まれ・フランス育ち。しかし両親は日本人で、名前も日本人、日本語も完璧。外見も話し方も“日本人そのもの”のように見え、最初は安心感すら覚えるほどでした。 空いた時間でお小遣いを貯めよう!「アイリサーチ」       ◆ 日本語では通じない“何か” 最初から多くを教えていただいたのですが、率直に言えば私は期待に応えられていないと感じていました。さらに、徐々に「何かが噛み合わない」という違和感が強くなっていきます。 日本語で話しているのに、なぜかニュアンスが伝わらない。言葉の“裏側”が共有できていない。その違和感は、簡単には説明できないものでした。 ◆ フランス語で話したら、なぜか伝わった ある日、悩んだ末に私はフランス語で話してみることにしました。片言で、決して上手とは言えないフランス語。それでも、驚くほどコミュニケーションがスムーズに進んだのです。 その瞬間、私は重大なことに気づきました。 ◆ 日本語に潜む“期待値の罠” 私は日本語で話すと、無意識に相手へ「自分の知っている日本人らしい反応」を求めてしまっていたのです。 「この表現なら伝わるはず」「この状況ならこう返すはず」――そんなハイコンテキストな期待値。 しかし、言葉の裏側は育った環境で変わります。フランスで育った上司に、日本での“空気感”を求めていたのはむしろ私の方でした。 ◆ フランス語での仕事、その先の変化 その日から、仕事の話もできるだけフランス語で行うようにしました。正直、難しかった。専門用語も出てこない。それでも必死に伝え続けました。 すると驚くほど、議論は噛み合い、理解は深まり、関係性は良くなっていきました。加えて、別のメキシコ人上司にも助けてもらうことで、チームとしてのまとまりも強くなっていきました。 ◆ 異文化の上司と働くということ 上司との関係はどこでも難しい。 まして外国で行うとなれば、さらに複雑になります。 しかし―― 相手の言語に飛び込むことで、見える世...

こんな“仲間の形”ある!?——フランスで出会った、人生を変える留学友情記

ブルカヌス×ルノー財団、異なるプログラムが交差した不思議で温かいフランス生活 ■ 驚きから始まったフランス生活 「 うわ、なんて多国籍な毎日なんだ!? 」 フランスに着いた瞬間、私はそんな言葉を心の中で叫んだ。 私が参加していたのは、日欧産業協力センターが運営する ブルカヌスプログラム 。語学研修のあとに企業研修が続く、珍しい“語学+企業”のハイブリッド型。語学だけ、MBAだけという留学制度が多い中、この組み合わせは極めてユニークだった。     ■ 別プログラムの仲間との出会い そんな環境で、私は別の留学制度から来ている仲間たちと自然に距離を縮めていった。 とりわけ印象的だったのが、同じ職場の人間工学チームに配属された一人の男性。 彼は Renault(ルノー)社の財団プログラム でフランスに来ていて、 1年間MBAで学び、その後1年間企業研修を行う という、会社主導の“本気の人材育成プラン”に参加していた。 ■ 大人数で学ぶ環境への憧れ ルノー財団のプログラムは約20名のメンバーが同じ国で学び、研修し、実践するスタイル。 一体感があり、支え合う雰囲気を持っていた。 それは、カナダで一人旅やアルバイトをしながら過ごした私にとって、そしてフランスでは少人数の語学学校から研修に入った私にとって、非常に新鮮で、少しうらやましい姿でもあった。 「こんなにも多様な留学プログラムがあるのか」 と、世界の広さを感じた瞬間だった。 ■ 競争ではなく“支え合い”の留学 そして気づいたことがある。 プログラム同士で競う必要なんてない。 異国で生活するには、助け合うことが何より大事だということだ。 フランス人も、他の国の人たちも、困ったときは快く助けてくれる。 でも、やっぱり 日本人の手助けは“感覚が合う” 。 同じ文化背景があるから、細かなニュアンスまで伝わりやすい。 その安心感が、心に温かく響いた。 ■ 国籍は関係ない、友情の不思議さ 面白いことに、私が一番仲良くなったのはメキシコ人の友人だった。 国籍なんて関係なく、価値観が近い人とは自然に仲良くなる。 ただ同時に、ブルカヌス以外の日本人メンバーにも、私は多くの場面で助けられた。 「みんなで助け合えば、異国でもちゃんと生きていける」 そう確信できたの...

えっ、ここでも日本頼み!? —— フランスの研究現場で気づいた“技術立国ニッポン”の底力

Renault研修で明らかになった、日本の技術が世界に選ばれる理由 【1】衝撃のスタート——フランスの研究所で見た“日本頼み”の現実 「 うそでしょ!? ここまで日本頼みなの!? 」 Renault研究所での研修初日、私は心の中で思わず叫んでいました。ヨーロッパを代表するメーカーの中心でも、日本の技術がこれほど深く信頼されているとは想像以上だったからです。 【2】研修開始でまず気づいたこと——やっぱり日本の技術はすごい 8月、Renaultでの研修がスタートしました。文化も仕事のやり方も異なる環境で、最初に感じたのは、 「日本の技術はやっぱりすごい」 という確信でした。ニュースで見るアライアンス関係とは違い、現場ではその強さが“息づいて”いました。 【3】研究所に広がる日産の存在感——身近に感じる日本の専門性 私の部署には日産の方はいなかったものの、他部署には頻繁に来られていました。廊下で日本語が聞こえる日もあるほどで、 専門技術者としての存在感 は確かなものでした。 しかし人数としては少数。そのため、自然と日本人同士のつながりが生まれます。海外特有の“安心できる空気”がそこにはありました。 【4】日本人会で広がる視野——Renaultの役職者との貴重な交流 誘われて参加した日本人会では、Renaultの役職者の方々と気軽に話せる貴重な機会がありました。 上下関係を超え、 「君はどんなことをしに来たの?」 と興味を持ってくれるフランス流のコミュニケーションは新鮮で、視野が大きく広がりました。 そこで語られるのは、 日本の生産方式への厚い信頼 。 「日産の仕組みは素晴らしい」「日本の改善文化は本当に学びが多い」 そんな言葉を耳にするたび、誇りが込み上げてきました。 【5】海外で気づく“自分の位置”——だからこそ挑戦できる 異国の地に身を置くと、自分の小ささを痛感する瞬間もあります。しかし同時に、 挑戦する勇気をくれる環境 でもあります。 Renaultでの経験は、私自身の成長意欲を一段と強くしてくれました。 日本人会の先輩にかけてもらった言葉が胸に残っています。 「せっかく来たんだから、遠慮しないでどんどん掴みにいけ」 【6】最後の結論——一歩踏み出すのは、いつだって自分 海外で見えた日本の強さ、そして挑戦...

なんでここまで精密なの!?——フランスで知った“日本の技術力”の底力

物流シミュレーションが教えてくれた、日本の生産方式の凄み 【1】8月、研究が始まった——最初の衝撃 「えっ、なんでこんなに違うの!?」 8月、フランスでの研究がスタートした瞬間、私は思わずそうつぶやきました。 物流ソフトウェアを使って工場の動きを分析するはずが、“そもそも工場そのものをソフトウェアで再現することの難しさ”に直面します。     【2】在庫は多いのに、お客様は待っている——現場のリアル 現場の担当者から教えてもらった最大の課題は「在庫が多いのに、車がオンタイムで出ていかない」という事実。 つくっているのに、必要なタイミングに届かない——まさに物流のジレンマでした。 【3】日本の日産では、すでに解決済みという衝撃 しかし、日本の日産はその課題を“すでにクリアしている”というのです。 今、製造会社に身を置いているからこそ分かります。 日産、やっぱりすごい。 その理由は、日本のモノづくりに根付く“徹底”の文化。 部品は生産計画に合わせてジャストインタイムで届き、組立は決められた順番通り。 順番が乱れれば、後工程で機械的に調整して整える。 これが機能し続けていること自体が驚きでした。 【4】ソフトで再現する難しさ——作り込みながら実感する日本の強さ 実際、この生産方式をソフトのシミュレーターで再現しようとすると想像以上に難しい。 在庫ポイント、遅延の発生場所、優先度… 一つひとつ問題を見つけ、遅延を解消しながら形をつくっていく作業は、まるで工場全体の設計図を再構築しているようでした。 だからこそ思います—— この緻密な流れを“現実で運用し続けている”日本の技術は、本当にすごい。 【5】技術を受け継ぎ、次のステージへ 特に自動車産業は、日本のモノづくり精神の象徴。 改善への飽くなき執念、工程を守る文化、良いものを届けたいという想い。 その積み重ねが、世界が評価する技術をつくっています。 私たちは、その技術の延長線上で挑戦を続けている。 だから、壁にぶつかっても、理解が追いつかなくても—— 「私ならできる!」と信じて、明日からも進み続けたい。

ここ、就業時間じゃないの!?——フランスの“働き方の自由”に出会って気づいた大切なこと

オフィスより自分の成長。フランスで見つけた「自由に働く」という選択肢 「今って…就業時間ですよね?」衝撃のスタート 「 うそでしょ!? 今、就業時間ですよね!? 」 フランスの研究所に到着した初日、私の常識は一瞬で崩れ落ちた。周りの人は誰も慌てないし、上司さえバタバタしていない。 “働く=時間に縛られる” という日本的価値観が、そこでいきなり通用しなくなった。 空いた時間でお小遣いを貯めよう!「アイリサーチ」       驚きのフランス流:自由で成果主義、でもギスギスしない フランスの働き方は、とにかく驚きだ。 ・自由に席を外せる ・課長も細かいことは何も言わない ・評価軸は「成果」ただひとつ しかもインターンが多い文化のため、 企業の利益より“自分の研究成果”が尊重される 。学生でありつつプロとして扱われ、個人の挑戦そのものを応援されているようだった。 語学が完璧じゃなくても、黙々と成果を出す仲間たち ロシアのインターンの仲間は、フランス語が得意ではなく、ほとんど無口だった。 しかし、研究となれば話は別。黙々と実験し、必要があれば先輩と議論する。 その姿を見て気づいた。 「語学より、自分の軸」 これさえあれば、研究は前に進む。 一方の私はというと、フランス語に苦戦していたが、上司が日本語を話せたおかげで、研究も報告も日本語でサポートしてくれた。 課長の“Mais Nooooon!”がくれた安心感 何より心に残っているのは、課長の存在だ。 困った顔で相談に行くと、両手を広げて 「Mais NoooooooN!」 と包み込みながら迎えてくれる。 インターン生を多く受け入れているからこそ、言語の壁にも寛容で、雰囲気はとても柔らかかった。 昼休みはしっかり1時間、時にはゴルフまで 昼休みはたっぷり時間を取り、会話を楽しむ文化。 上司の趣味がゴルフだったので、昼休みに打ちっぱなしに連れて行ってくれたこともあった。 「仕事の合間にゴルフ!?」という衝撃と同時に、 働くこと=人生を楽しむこと という価値観を感じた瞬間だった。 なぜ私は“オフィスにいることが正義”だと思い込んでいたのか 今思うと、後悔がひとつある。 もっと就業時間なんて気にせず、 ・工場見学に行きたい ・別部...

まさか…フランスで“日本”を研究することになるなんて!

Renault物流研究所で気づいた、私の研究テーマの正体 「えっ!? これ、私の研究って“日本を研究すること”なの?」 そんな衝撃の一言から、私のフランス・Renaultでのインターンは幕を開けました。 空いた時間でお小遣いを貯めよう!「アイリサーチ」       ■ フランスで始まった“経営工学としての物流研究” Renaultでの私の役割は、**経営工学(Industrial Engineering)**の観点から物流を研究すること。 配属先は、 Operations Research(OR) の物流チームと、 人間工学(Ergonomics) の専門部隊が同居する特殊な部署でした。 さらに驚いたのは、そこで働く研究者の多くが 大学の研究者 であり、大学教授の指導を受けながら企業で研究する“産学連携インターン”の形を取っていたこと。 「日本でも、こんな仕組みがあればもっと産学協力がうまく回るのに…」 そう考えるきっかけにもなりました。 ■ 物流の矛盾——工場は在庫だらけ、顧客は生産待ち 上司から与えられたテーマは、工場に在庫があふれる一方で、顧客は生産待ちを強いられているという“矛盾”の解決。 理論設計とシミュレーションソフトを使って、最適解を導く——まさに学んできたORの醍醐味です。 「勉強したことが生かせる!」 私は胸を弾ませて研究に取り組み始めました。 ■ …のはずが。まさかの指示「日産生産方式を分析して!」 ところが次に届いた指示は、予想外のひと言。 「日産生産方式(NPW)を分析して報告してほしい」 なんと、物流問題はすでに日産が解決済み。 部品の流れを“順番通り”に制御して生産するNPWは、まさにその回答だったのです。 フランス・ベルサイユ郊外のRenaultで、 日本にルーツを持つフランス国籍の上司と共に、 日本・日産の生産方式を研究する——。 なんとも不思議で、少し誇らしい時間でした。 ■ フランスが注目する、日本人のモノづくり 「確か、Renaultが日産を支援したんじゃなかったっけ?」 そんな背景を持つフランス企業が、今では日本の生産方式に強い関心を寄せている。 フランスから見ても、日本のモノづくりは依然として学ぶ価値がある。 その事実に触れるたび、 日...

これが“働く”ってこと!?——フランス研究所で体験したゆるいのに効率的なワークスタイル

日本の常識が吹き飛んだ、フランス式「ゆるいのにプロ」な仕事の景色 ◆フランスに来て最初の衝撃:“働く”がこんなに違うなんて! 「えっ!? ここ、本当に仕事してるの!?」 そんな奇抜な第一印象から始まった、私のフランス研修ライフ。 学生としてフランスに留学し、Renault研究所で研修を受けることになった私は、自然と“日本的な働き方”をイメージしていました。 日本で正社員として働いた経験はないものの、アルバイトや現場の空気感から、「だいたいこんな感じだろう」と想像できる自信はありました。     ◆日本での働き方イメージ:淡々、黙々、そして17時退勤 朝9時頃に出社し、与えられたタスクを淡々とこなす。 17時になれば周りの様子を見ながら帰る。 その繰り返し——。 「まあ、フランスでもこんな感じなんだよね?」 そう思っていました。本気で。 ◆ところが…フランスでは“のんびりなのにプロフェッショナル” いざフランスの研究所に行くと、その想像は開始10分で崩れました。 まず、 みんながとにかくのんびり 。 研究所だから? いや、文化でした。 オフィスはアメリカンスタイルで、一人ひとり広めの席が割り当てられ、インターンだからと距離を置かれることもありません。 朝はメールチェックの前に、必ず全員に挨拶して回る。 「今日もあなたがここにいるね」という、温度のある挨拶です。 ◆毎朝の儀式「プチカフェ?」——30分〜1時間の社内カフェ会 9時過ぎ、課長がゆっくり出勤。 真ん中のテーブルに座ると、突然こう呼びかけます。 「アロー、プチカフェ?」 すると、自然に人が集まり始める。仕事が忙しい人以外は全員集合。 そこから始まるのはなんと 30分〜1時間の朝カフェタイム 。 私も毎日混ざり、チームに溶け込んでいきました。 ◆ゆったり1.5〜2時間のランチ。誰も急がない文化 昼は12時開始。 でも戻ってくるのは13時半〜14時。 みんな本当にゆっくり食事を楽しむ。 **「休憩は休憩。焦らない」**という姿勢が徹底していました。 ◆夕方17時過ぎには全員が帰る“仕組み”が存在する 研究所から帰る手段はバスか車のみ。 そして バスの最終は20時 。 残業なんてありえない。 20時に出なければ帰れない...

ここ…本当に“研究所”!?——フランスで見た働き方の景色が、完全に日本と違った話

Renault研修で出会った“おしゃれすぎる研究環境”と“多国籍チームの文化” 「えっ、研究所って、こんなにスタイリッシュでいいの!?」 夏休み明け、フランス・Renault社での研修が始まった初日。私は着いた瞬間から、完全に度肝を抜かれた。     ◆ 街中のオリエンは一瞬で終了。本番は“郊外の研究所”から始まった 最初の数日は、総務がいる街中のオフィスでの研修。 日本でも見慣れたような環境で、「意外と普通だな」と思っていたのも束の間、すぐに終わりを迎える。 そしてついに、私の上司がいる“研究所”へ移動することに。 ◆ Versailleからバスで20分。郊外の“研究集落”へ向かう バスに揺られること20分。 都会の雰囲気が急に薄れて、広々とした道路と緑が広がる“研究特区”のようなエリアに入っていく。 「こんなところに巨大な研究所があるのか…」 車窓からの景色だけでワクワクが止まらない。 ◆ セキュリティチェックは空港並み。パスポート提示に驚く 到着してすぐ感じたのは、“セキュリティの本気度”。 IDチェック、パスポート提示、ゲートの通過。 完全に空港の手荷物検査レベルで、研究施設に対する本気の姿勢が伝わってくる。 ◆ そして中に入ると…日本では見ない“吹き抜け研究所スタイル” 研究所の扉を抜けた瞬間、言葉を失った。 中央がドーン!と吹き抜け。 光が差し込み、空間が広い。 廊下は長く、構造は複雑で、移動には時間がかかる。 日本の“効率的大型ビル”とは真逆のアプローチ。 でも…… とにかくおしゃれ。 ◆ 多国籍チームとの出会いがさらに衝撃だった 私が所属したのは8人の研究チーム。 構成がまた面白い。 フランス人:4人 メキシコ人:1人 アルバニア人:1人 ロシア人:1人 そして私の上司は―― フランス生まれ・フランス育ちの 日本人(ただし国籍はフランス) 見た目は日本人。 日本語もネイティブレベル。 でもフランス語は完全に現地人の発音。 いや、こんな人いるんだ…と本気で感心した。 英語と日本語を操るバイリンガルは見たことがある。 でも、フランス語まで“母語級”という人は初めてだった。 ◆ 研究内容はバラバラ。でも“必ず一緒にやること”が...

“宮殿の町に住む”なんて聞いてない!——フランス家探しで味わったリアルな冒険

語学学校3カ月 → Renault研修 → ベルサイユのフォワイエ面接まで 住まい探しが変えた、フランス生活のストーリー ◆衝撃のスタート:家探し、いきなり壁にぶつかる 「 えぇっ!? 宮殿の近くに住むってどういうこと!? 」 フランスで家探しを始めた瞬間、私は思わず叫びました。 3カ月の語学学校、そしてその後に続くRenault社での企業研修。ワクワクと不安が交錯する中、住まい探しは最初の大きな試練でした。 ◆語学学校を終えて、次はRenaultへ 語学学校を終えると、私は8月末からRenault社で物流研究の研修を担当することが決定。 研究所は Guyancourt(ギャンクール) 。 地図を見ると Versailles(ベルサイユ)市の南 に広がり、ベルサイユ宮殿最寄り駅からバスに乗って少し走ると、突然家並みが消え、パリ郊外らしい風景へ。「ここに研究所が?」と思う頃、巨大な施設がドーンと姿を現します。 ◆さて、住むのはどこ? パリ?ベルサイユ? パリ市内? ——家賃が高すぎて断念。 ベルサイユ? ——「宮殿のある町に住む場所なんてあるの?」と半信半疑。 そんなとき、語学学校の先生が教えてくれたのが、 市が運営するFoyer(フォワイエ)という低価格アパート 。 学生や所得の低い若者向けで、家賃も手頃。 しかし、 入居にはフランス語での面接が必要 。 ◆フォワイエ面接の恐怖…いや、挑戦の始まり 3カ月フランス語を学んだとはいえ、生活に必要な語彙には自信がない。 “落ちたらどこに住む!?”という不安に背中を押され、 自己紹介、生活スタイル、志望理由をフランス語で書き、何度も練習。 最初にパリで受けたRenault面接より緊張していたかもしれない。 今回は生活基盤がかかっているのだから。 ◆面接当日、ベルサイユ駅で見えた景色 面接当日、ベルサイユ駅からバスを待ちながら観光客を見る。 「ああ、この町で暮らすのか…」 そう思うだけで胸がざわつく。 住めれば研究所にも近く、生活費も抑えられる。 何より **“ベルサイユという歴史ある街に住む経験”**自体が、大きな価値になる。 ◆つたないフランス語でも、一歩前へ 面接では拙い言葉でも、とにかく誠実に話した。 結果はどうであれ、挑戦した自分を誇りたい。 そ...

フランス?スペイン?ドイツ?ヨーロッパって、違いすぎる!

フランス留学1年で気づいた、隣国への小旅行と多言語の不思議な魅力 わあっ!ヨーロッパって、想像以上に小さな世界だったんだ! フランスでの留学生活を始めて1年、初めて気づいたのは「近くへの旅行がこんなに簡単だなんて」ということ。ロワールの静かな町にいると、隣国へ電車でふらっと行ける距離感が日常の一部になっていた。 空いた時間でお小遣いを貯めよう!「アイリサーチ」       隣国へのアクセスは驚くほど簡単 スペイン、ドイツ、ルクセンブルグ、イタリア、スイス、そしてイギリスまで、列車やバスで移動できるのだ。さらに驚くのは飛行機の安さ。3か月前にLCCを予約すれば、数千円で別の国の島や都市に行ける。日本の感覚では信じられない価格だ。 ロワールでの週末の楽しみ 滞在していた頃は、週末ごとに近郊のお城を巡るのが楽しみだった。壮大な歴史と美しい庭園の数々に心を奪われつつ、長期休みにはスペインへ。バルセロナで1週間、冬には南スペインの小さな町を歩き回った。フランスと似ている雰囲気に、言葉もなぜか少し通じる。ちょっと単語を変えたら通じるかも?なんて試してみる楽しさもある。 多言語文化の背景に触れる こうした経験から、多言語を話せる人が多い理由も納得できた。地理的にも文化的にも近くても、歴史や政治の背景で国としての境界ははっきりしている。フランスだった地域がスペインになったり、また別の時代には独立を目指す地域もある。国という意識の大きさを肌で感じる瞬間だ。 日本人としての自分を意識する瞬間 そして、不思議なことに「日本」という言葉の響きが、このヨーロッパの地で少し変わって聞こえた。日本人としての自分を意識する瞬間でもあった。 明日からの一歩を踏み出す だからこそ、思う。たとえ文化や言葉が違っても、行動し、歩みを進めれば世界はもっと近くなる。フランスでの留学生活が教えてくれたのは、世界の広さよりも、 「私の一歩で世界は変わるかもしれない」 という実感だ。 明日からの一歩、私ならできる!

驚いた!フランスの“土日”は、こんなにも人生を変えるなんて

留学先の田舎町で見つけた「学び」と「ゆるやかな幸せ」 「えっ、これが週末!?」——フランスに来て最初の土曜日、私は朝から心の中で何度もそう叫んでいました。緊張と期待でいっぱいだった留学生活の中で、いま振り返ると 一番学びが深く、一番楽しかったのは“土日の過ごし方” かもしれません。 ■ ホストファミリーの“田舎での週末”が人生を変えた 私が暮らしているのは、フランスの田舎町にある団地。その近くに、小さな庭付きの一軒家をホストファミリーが持っており、そこが土曜日の拠点です。 朝ごはんを食べ終えると、マダムの車に乗って買い物へ。 たまに賑やかな朝市へ行くけれど、だいたいはスーパー。 そして 10時になると、別荘へ出発 ——ここから“フランス式の週末”が始まります。     ■ 別荘でのBBQは、小さなコミュニティの祭り 到着すると、マダムはすぐに下ごしらえ開始。私は掃除やテーブルの準備を担当。 その別荘は、ムッシューが若い頃よく過ごしていた場所らしく、どこか懐かしい空気が流れています。 12時頃になると、ムッシューとマダムの友人たちが続々と集まり、いつのまにか10人ほどの“いつものメンバー”が勢ぞろい。 1時に全員揃うと、いよいよ乾杯。 ここで驚いたのが、「シャンパンじゃない」ということ。 代わりに出てくるのは、ロワール川地元の微発泡酒「ペティヨン」。 ラベルのない瓶。なぜなら、近くのワイナリーから直接仕入れたものだから。 「田舎はラベルなんて貼らないのよ」とマダムは笑います。 赤ワインは箱からカラフェへ。私は“ワイン係”として、ひたすらみんなに注ぎ続けます。 言葉はまだまだ完璧じゃない。でも、笑顔とワインがあれば、会話は不思議とつながっていく。 ■ 食後は“フランスの国民遊び”で勝負 ランチが終わり、プティカフェで一息ついた後は、ペタング(フランス版カーリングのような球技)が始まります。 これがまた、意外と熱い。気づけば午後4時。みんなほんのり(いや、かなり)酔っていて、笑いが絶えません。 そして家に帰り、シャワーを浴びてから勉強して寝る——これが私の“フランスの土日ルーティン”。 ■ 最初は緊張。でも、土日の過ごし方でフランスが一気に身近になった 留学当初、週末はどうしたらいいか分からず、不安ば...

フランス語の方が日本語に近いって本当?——3カ月で気づいた“語学の思い込み崩壊”

英語より聞き取りやすい?日本人がフランス語で働くためのリアルな3カ月 フランス語3カ月で見えた現実 なんと!フランス語を3カ月学んだだけで、こんな発見があるなんて思いもしませんでした。語学学校に通い、そして今は企業研修。正直、最初は「3カ月で仕事に使えるレベルにならないとマズい」と焦りでいっぱいでした。だって私は、そもそも英語すら仕事で使った経験がない。そんな私が、フランス語で本当に仕事できるの?と自分に何度も問いかけていました。     毎日の積み重ねで少しずつ 自信なんて、まったくなかったんです。でも、この3カ月で“毎日フランス語に触れる生活”を続けました。マダムと買い物に行き、家事を手伝い、友達とごはんを食べて、できないなりにフランス語で会話を続けた日々。その積み重ねの中で、思わぬことに気づき始めたんです。 フランス語と日本語、音の共通点? それは——「あれ?フランス語って、日本語とちょっと近くない?」という感覚。もちろん、全然わからない単語も山ほどあります。でも、英語よりも“音が耳に入りやすい”んです。単語単位で聞こえてくるし、発音のパターンがなんとなくわかる。もしかしたら、フランス語の方が日本語話者にとって理解しやすいのでは?とさえ思う瞬間がありました。 文法は難しいけれど… 文法は確かに難しい。英語よりはるかに複雑で、性別や活用で頭が混乱します。でも、“聞こえる”という感覚だけは、英語よりずっとストレスが少ない。あとで知ったのですが、フランス語と日本語は「文章の構造美を重視する」文化的な共通点があるらしく、だからかリズムが妙に心地よいんです。 英語に縛られない自由 私は長い間、「英語ができないと、ほかの言語もできるはずがない」と思い込んでいました。でも、それは違った。英語とフランス語はまったく別物でいい。英語ができなくても、「フランス語話せます」で全然いい。なんだ、私は英語に縛られる必要なんてなかったんだ。むしろ世界は、もっと広く、もっと自由だった。 明日からの一歩 3カ月でペラペラにはなりません。でも、3カ月で“世界を見つめる視点”は変わります。フランス語に触れたことで、「できない自分」ではなく、「今の自分にもできること」に気づけたからです。明日もまた、フランス語の一言を覚えて、実際に使ってみようと思います。...