え?なんで私だけ?
国際チームで学んだ“やりすぎ注意報”
「え、なんで私だけ全部やってるの?」
とある国際プロジェクトに参加していたとき、ふと感じた違和感。アメリカ人やヨーロッパ人と働く中で見えたのは、「全部やらない」ことの美学だった。彼らは、自分の専門には熱く語るけれど、チーム全体の細かい作業にはそこまで関与しない。にもかかわらず、最終的には「成果の一部」をしっかり評価されている。
【専門性で勝負】なぜか説得力がある話し方の秘密
会議では、「こうあるべき」とはっきり言い切る欧米の同僚たち。複数の意見がある中で、断言するスタンスに最初は驚いた。だけど、その自信の源は「自分の専門性」にあることに気づいた。逆に、全体の細かい作業は「指示だけして、自分では手を動かさない」スタンス。これが自然にできているから、無駄な労力をかけずに“チームで成果”を出す動きができていた。
【指示を受ける側】真面目に受け取ると苦しくなる日本人あるある
私はというと、与えられたタスクを真に受け、細かく丁寧に取り組む毎日。進捗も思うように進まず、気づけば“ひたむき作業係”に…。他のメンバーは、仕事をスムーズに他メンバーに振り分けたり、軽やかにタスクを終えているように見える。最初は英語力の差かと思ったけれど、それだけじゃなかった。「やるかどうか」の判断と「誰にやらせるか」の振り分け力。ここが彼我の違いだった。
自宅でできるフィットネスサービス SOELU(ソエル)【評価の仕組み】成果が出れば誰の手柄でも“チームの成果”
驚いたのは、彼らが振った仕事で成果が出たとき、「一緒にやった」として評価されていること。つまり、自分でやることにこだわらず、“成果を出すために誰と組むか”を最初から設計していたんだ。個人で抱え込むことが、必ずしも評価につながるわけじゃない。これは、まさに目からウロコの気づきだった。
【次回予告】“サボり”に見えるか、“先読み”か。その境界線とは?
空いた時間で別のアイディアを育てる。そこにこそ、次のチャンスが潜んでいる——。後編では、“手を抜く”のではなく、“力の入れどころを見極める”技術について、さらに深掘りしていきます。
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