あれ、これ日本製じゃないの!?
「うわ、これも海外製!?」
海外の空港で最新ガジェットを手に取った瞬間、そんな驚きに包まれたことはありませんか?
かつて「MADE IN JAPAN」は、世界に通用する品質と革新の証でした。ウォークマンが音楽文化を変え、新幹線が「世界一正確な鉄道」と称され、液晶テレビや半導体で市場を席巻していた時代があったのです。
しかし、いつのころからか――要素技術では世界一でも、表舞台の主要製品から「日本」の文字が静かに薄れていきました。
2000年代、日本は躍進できたのか?
2000年代に入っても、日本は確かに多くの先端技術を持っていました。
でも、その多くが世界標準になれず、あるいは政治や市場戦略の壁に阻まれ、未完のまま幕を閉じていきました。
年代別の“未完の挑戦”
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2000年代前半:Winny(P2Pソフト)
著作権事件で開発者逮捕(後に無罪)→社会的信頼を喪失し技術展開が止まる。 -
2000年代中盤:HD DVD(光ディスク)
Blu-ray陣営がハリウッドの支持を獲得し、規格争いで敗北。 -
2000年代後半:日本製原発輸出(トルコ・ベトナム)
福島事故後の国際安全基準強化+現地世論の変化で計画中止。 -
2010年代前半:準天頂衛星システム(衛星測位)
米国GPSとの協議で利用制限条件が付き、民間商用化がスローダウン。 -
2010年代後半:EUV用フォトレジスト輸出規制(半導体素材)
韓国向け輸出管理厳格化が政治問題化、顧客減少。 -
2010年代後半:液晶パネル産業(ディスプレイ)
韓国・中国の国家補助金戦略に押され、日本主要メーカーが撤退。 -
2020年代:燃料電池車・ソーラーカー構想(環境技術)
インフラ不足+政策一貫性欠如で普及停滞。
世界で勝てる技術は、今もここにある
2014年、発明家・齋藤氏が米アップルに特許訴訟で勝訴した事例は象徴的です。
しかし、この特許、日本企業が製品化する前にアップルが商品化してしまいました。
もし国内企業がもっと早く動いていれば…と思わず悔しさがこみ上げます。
それでも、この事例は示しています。
――日本の技術は、アメリカの巨大企業をも超えうるポテンシャルを持っている、と。


明日からの一歩
課題は明確です。
もっと日本自身が、日本の技術に目を向けること。
要素技術の強みを「製品・規格・国際戦略」に変えること。
かつての栄光は過去の物語ではなく、未来への教科書です。
「私ならできる」――その一歩を、明日から踏み出しましょう。
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