衝撃のスタート
「えっ!? あれほど日本で成果を出したのに、世界では“ひとつの複雑な国をうまく回した”に過ぎないの!?」──グローバル企業に転職して間もない頃、私はこの現実に強いショックを受けました。
私は日本で確かに大きな成果を出したつもりでした。システム改革や業務改善、全体最適化の提案…。社内では「成果を出した人」として評価されていたのです。ところが、グローバル企業の視点では、日本は広大な組織の“リージョンのひとつ”にすぎません。たとえその会社が「日本」という名前を冠していようと、全社から見れば数ある地域の中の1つでしかなかったのです。
そのギャップは、まるでジェットコースターの落下のように私を揺さぶりました。「じゃあ、私はどうやってこの世界の中で存在感を出していけばいいのだろう?」──そう自問自答する日々が始まりました。
🍶飲みにケーションが通じない世界
日本企業であれば、飲み会で上司や仲間と親しくなり、距離を縮めることができます。いわゆる“飲みにケーション”です。しかし、グローバル企業ではこの手法が一切通じません。時差も文化も異なり、オフィスで顔を合わせる機会さえ限られています。
もちろん、リーダーが来日した時には、積極的にオフィスに出向きました。雑談でもいいから直接話す機会を作る。それが関係を築くチャンスになるからです。でも実際には、彼らが日本に来る回数は年に数えるほどしかありませんでした。
「日本にいた時は、いかにコミュニケーションの機会が多かったのか」──そのありがたさを身に染みて感じました。待っていては関係性は築けない。だからこそ、私は自分から新しいアピール方法を探す必要があったのです。
📊PPTによるアピールの日々
最初に取り組んだのは、改善アイデアをPowerPointにまとめることでした。思いついたらすぐにスライドにし、会議のたびに説明する。言葉だけでは忘れられるアイデアも、図解や数字を伴えば記憶に残りやすいと考えたのです。
当時の私は“全体最適化”に強いこだわりを持っていました。だから提案の多くは、組織やシステム全体をどう最適化できるか、という内容ばかり。部分最適ではなく全体を見渡す。これは日本国内では高く評価されました。しかし今振り返ると、もっと別の切り口──突き抜けた発想や異質なアイデア──を示してもよかったのかもしれません。
ただひとつ確かなのは、「アイデアは届かなければ意味がない」ということ。だから私は、直属の上司だけでなく、その上の上司にも説明するようにしました。会議の合間、雑談の時間、どんな隙間でも構いません。とにかく“届ける努力”を欠かさないことを意識したのです。
🎤TownHallでの一番乗り
しかし、まだ足りませんでした。大人数が集まる場でどうアピールするか──そこで私は「TownHall」での質問に賭けることにしました。
ルールはひとつ。必ず最初に手を挙げること。
質問の内容が完璧でなくてもいいのです。時には「お寿司は食べましたか?」というアイスブレーク的な軽い質問でも、リーダーにとっては「この人は積極的に関わってくる人だ」と印象に残ります。
そして忘れられない瞬間がありました。私はルービックキューブを持って参加したのです。
「CIO、私は子どもとルービックキューブで遊ぶのが好きなんですが、得意ですか? 組織もルービックキューブのように多面性がありますが、合わせられますか?」
その場の空気が一気に和みました。周囲からは「最高の質問だった!」と声をかけてもらい、CIOも即興でユーモアを交えた回答を返してくれました。その瞬間、私は「瞬時にウェットな返答ができるリーダーのすごさ」を実感し、心から感動しました。
この経験以来、TownHallでは必ず最初に手を挙げることを自分のスタイルにしました。質問の巧拙ではなく、“場を動かす姿勢”そのものがアピールになるのだと学んだのです。


🚀私ならできる!明日からの一歩
こうして私は、飲み会のない世界で、自分なりのアピール方法を少しずつ編み出しました。PPTによる提案、上司への直接説明、TownHallでの一番乗り質問。どれも日本ではあまり意識しなかった工夫ばかりですが、グローバル環境では不可欠な武器になったのです。
振り返れば、「日本だけで成果を出しても、それは世界のほんの一部に過ぎない」という現実は、私に大きな学びをくれました。やり方を変えれば、必ず存在感を示せる。文化や距離の壁を超えて、自分の声を届けることはできるのです。
そして今も私は思っています。
「私ならできる!明日から踏み出す一歩が、未来を変える」──そう信じて、今日もまた手を挙げ続けています。
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