ラスベガスで衝撃を受けた私が、深センで自分の未来を確信した日。
■ あの衝撃の瞬間から、すべてが始まった
「え?本当に私がステージに立ってる…?」
その瞬間、全身に鳥肌が立った。スポットライトに照らされる中、私は英語でピッチをしていた。観客の前には、世界中から集まった名だたるスタートアップの創業者たち。
きっかけは数年前、ラスベガスで参加したテックイベント。圧倒的な熱量とスピード感に打ちのめされ、「日本はこのままでいいのか」と自問した。
■ 日本のシステム変革を担って
帰国後、私はGlobal企業のシステム部門で、日本の業務改革・DX推進に奔走する日々に身を投じた。業務の課題を見抜き、現場を巻き込み、少しずつ変革を形にしていく。その過程で芽生えたのが、自分なりのイノベーションアイデアだった。
「これを世界に出せるかもしれない」
そう思い始めた矢先、偶然が重なり、海外のスタートアップイベントでピッチする機会を得た。舞台は中国・深セン。まさにアジアの“シリコンバレー”。
■ 個人の挑戦、つながりが拓いた舞台
企業の肩書きではなく、完全に“個人”として挑戦した今回の登壇。きっかけは、旧友との再会と、そこからつながった支援者たちだった。人のつながりの力に、心から感謝している。
資料作りから英語での練習まで、毎晩遅くまで準備を続けた。だが、現地に集まった登壇者たちは、すでに会社を立ち上げ、製品をリリースし、投資家の注目を集めている人ばかり。
結果は、惨敗。反応は薄く、手応えはなかった。
■ 技術は負けてない。足りないのは“届け方”
ただ、その体験を通して気づいたことがある。日本の技術力は負けていない。むしろ、細部のクオリティやプロトタイプの完成度では勝っていた。
ではなぜ勝負に負けたのか?答えは明白だった。彼らは「売る力」「魅せる力」に長けていた。街全体がスタートアップを支え、ピッチイベントはまるでフェスのような熱気に包まれていた。
■ 日本にもできる。だから、私はやる
その経験を経て、私は確信した。日本にも戦える力はある。必要なのは、「営業」「マーケティング」「ストーリー設計」などの支援体制だ。技術に加えて、“売り方”を磨くことこそ、再生のカギになる。
今後、私は自分の立場から、それを支える存在になりたい。変革を進めるだけでなく、届け方を設計し、広げていく力になりたい。
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■ 私ならできる。だから、一歩踏み出す
深センの舞台で得た最大の収穫は、「自分にもできる」という実感だった。うまくいかなくても、世界に立てる。挑戦はできる。道は、拓ける。
だから私は、また一歩を踏み出す。
私ならできる。明日からの一歩を信じて、進んでいこう。
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