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お客様ってこんなに優しいの!?——新人エンジニアが初めて知った“現場の真実”

一次受けで得た、忘れられない最初の成功体験 うわっ、心臓の音がビル中に響いているんじゃないか!? 今でもはっきり覚えている、新人として最初に入ったプロジェクトでの、あの日の緊張感だ。     ■ 新人で入った、最初の現場 私が配属されたのは、日立製作所という一次受けの会社から参画するプロジェクトだった。右も左も分からない新人だったが、だからこそだろうか、思いがけない機会が用意されていた。 「今度、お客様への説明に一緒に行こう」 そう言われたときは、正直、耳を疑った。 ■ 一次受けだからこその“機会” 私の役割は機能担当者。もちろん、二次受けの方々やリーダークラスの人たちは日常的にお客様へ説明していた。でも、新人の私が一緒に連れて行ってもらえるのは、一次受けという立場だからこそだったと思う。 チョイスが多い。機会が多い。ちゃんと気にかけてもらえる。 この点は、大きな会社に入ってよかったと心から思えた瞬間だった。 ■ 専門性か、機会か 正直に言えば、プログラムを徹底的に磨くなら、二次受け、三次受けという道もあったのだろう。でも私は、いろんな経験の場を与えてもらえる一次受けでよかったと、今でも思っている。 ■ 銀行本社の圧倒的な空気 初めて訪れた銀行の本社は、とにかくすごかった。 ビルがでかい。会議室がきれい。 「ここで説明するのか…」 そう思った瞬間、緊張は一気にピークに達した。 ■ お客様の一言 案の定、相当緊張していたのだろう。 説明の前に、お客様からこう言われた。 「そんなに緊張しなくて良いですよ」 その一言で、少しだけ肩の力が抜けた。 ■ 数分、いや数秒の初体験 説明自体は、事前に先輩と打ち合わせていた通り、なんとか話せた。 ほんの数分、いや、数秒だったかもしれない。 それでも、初めて“自分で作った部分”を、お客様に説明した経験だった。 ■ 下手でも、聞いてくれた 今思えば、相当へたくそな説明だったはずだ。 それでも担当の方は、最後まで優しく聞いてくれた。 「お客様は鬼」 どこかで勝手にそう思い込んでいた自分が、少し恥ずかしくなった。 ■ 小さな自信の芽 あれ?意外と大丈夫かもしれない。 やっていけるかも。 そう思えたことで、ほんの少し自信が持てた。 新人時代のこの経験は...

あの一言が全部を背負っている!?——プロジェクトコントロールという“花形”の正体

新人の頃、まぶしすぎた先輩の背中 うわっ、プロジェクトってこんなにも人の人生を映すのか!? 新人だった頃、私はプロジェクトルームの端で、いつも同じ先輩の背中を目で追っていた。     ■ まぶしかった「お客様へ報告に行く姿」 その先輩は、週に二回以上、お客様のところへ報告に行っていた。 「問題ありません」 30人規模のプロジェクトを前に、そう言い切る姿が、とにかくかっこよかった。 正直に言えば、当時の私は思っていた。 「ベンダーの花形って、こういう人なんだろうな」と。 ■ 実際に動いているのは、誰か 一方で、現場ではプログラマーの皆さんが必死にコードを書いていた。 Javaの実装、サーバ設定、パラメータ調整、構成管理。 泥臭い仕事の積み重ねで、システムはようやく形になる。 それでも、その全体を把握し、整理し、言葉にしてお客様へ届ける。 その役割を担っていたのが、あの先輩だった。 ■ 報告書、会議、メール…見えない努力 報告書を作る姿は、正直「大変そう」だった。 会議の取りまとめ、メール、文書作成。 夜遅くまで、何度も推敲していたのを覚えている。 しかも後で知った。 その先輩、Javaは「あまり詳しくなかった」らしい。 それでもプロジェクトは、確かにコントロールされていた。 ■ 詰まった瞬間の“判断力” スケジュールが遅延しかけた時。 技術的に詰まった時。 先輩はすぐ別の人を呼び、ヘルプを入れていた。 抱え込まない。 決断が早い。 だからプロジェクトは前に進んでいた。 ■ ムードメーカーという、もう一つの役割 遅くまで作業が続いても、先輩はどちらかというと笑っていた。 場の空気を和らげる、ムードメーカーのような存在。 後になって、ようやく分かった。 プロジェクトの雰囲気づくりは、成果に直結する ということを。 ■ 少し先の未来を見ていた 「自分も、こういう役目になっていくのかな」 「こんなに忙しくなるのかな」 不安と期待が入り混じりながら、あの背中を眺めていた。 それは、自分のエンジニア人生の、少し先の未来を見ている感覚だった。 プロジェクトコントロールは、決して楽ではない。 でも、人と技術と時間を束ね、前に進める仕事だ。 今なら分かる。 あの先輩が、なぜあんなにも...

こんなに分厚いの!?——巨大企業の“層”に飲み込まれた日

日立製作所のプロジェクトで知った、日本を支える構造の正体 うわっ、想像していた世界と全然違う! 研修が終わり、Web研修も終え、いよいよ実際のシステム開発プロジェクトに配属された日のことだ。胸の奥にあったのは、「ついに現場だ」という高揚感だった。     ■ 日本を代表する大企業・日立製作所 日立製作所は、日本を代表する大企業だ。電力、交通、産業、IT——世界中のインフラを静かに、しかし確実に支えている。金融分野でもその存在感は圧倒的で、日本のほぼすべての銀行に日立のシステムが入り込んでいる。特に大きな銀行であれば、どこかの領域で必ず日立に頼っていると言っていい。 ■ たった一つの銀行、その裏側 そんな日立の中で、私は「一つの銀行のシステムを開発するプロジェクト」に入ることになった。巨大企業のプロジェクトだから、日立の社員だけで回しているのだろう。正直、そう思っていた。 だが、現実は違った。 ■ 正式メンバーではなかった私 私は日立製作所の正式なメンバーとしてではなく、日立製作所の子会社である 日立システムズ の先輩の下についた。少し意外だったが、もともと日立システムズにも行こうかと考えていたこともあり、勝手に親近感を覚えた。 ■ 初めて聞いた言葉の数々 プロジェクトが始まって、初めて知る言葉が次々と出てくる。 「元受け」「二次受け」「三次受け」——。 一つのプロジェクトに、数社が関わっているのだ。日立が元受けとして受注し、その下に日立グループ会社、さらにその下に協力会社が連なる。特に日立グループの下請けが多いことに驚かされた。 ■ 日立って、製作所だけじゃない 「日立って、製作所だけじゃないんですね」 思わず口に出た。グループ会社全体を入れたら、一体何人になるのだろう。一つのプロジェクトを、自分たちの“グループ”だけで回せてしまう。その層の厚さに、ただただ圧倒された。 ■ これが世界を支える大企業 多重構造は、非効率に見えるかもしれない。だが、この分厚い層こそが、止まってはいけない銀行システムを守り、世界のインフラを支えている。巨大企業とは、規模だけでなく「構造そのもの」が強さなのだと知った瞬間だった。 私は、この分厚い層の一番下にいたかもしれない。 でも、その全体を知れたことは、何よりの財...

ここから共同生活!?——歴史ある大企業が守り続ける“社会人の入口”

日本をリードする企業が、新人に用意した“最初の学びの場” うわっ、いきなり相部屋!? 社会人のスタートは、想像していたオフィスデビューではなく、少し年季の入った建物の前に立つところから始まった。 空いた時間でお小遣いを貯めよう!「アイリサーチ」       ■ 日本をリードする「日立」という存在 日立製作所は、日本を代表する大企業だ。 エネルギー、IT、インフラ、社会システム——ほぼすべての技術分野をカバーし、日本の成長を長年支えてきた。 そんな巨大企業には、今でも“らしい”習慣が残っている。そのひとつが、新入社員向けの「寮」だ。 ■ 男性は“ザ・寮”、女性は借り上げマンション 女性社員には借り上げマンションが用意される一方、男性は文字通り「ザ・寮」。 寮長さんが常駐し、6階建てほどの古いマンションを一手に管理している。 どこか昭和の空気が残るその建物は、「これから社会人になる」という実感を強制的に与えてくる場所だった。 ■ 1年目は、原則2人部屋 特に衝撃だったのは、1年目は原則2人部屋というルール。 16畳ほどの大きな部屋に、見知らぬ同期と2人で入る。 部屋割りはすでに決められており、選択権はない。 同じ部屋の相手とは、その瞬間が“初対面”だ。 ■ 相部屋の相手は、同い年の東大卒エンジニア 私の相部屋は、同い年の東大卒エンジニアだった。 私は2年間海外に出ていたため、同期の中では少し年上。でも、彼とは年齢が同じ。 彼もまた、なかなか面白い人生を歩んできた人だった。 ■ 夜な夜な続く、人生トーク 仕事の話、学生時代の話、将来の不安や期待。 夜な夜な、いろいろな話をした。 気が合えば、本当に心強い仲間になる。 この距離感で語り合える経験は、正直、会社に入らなければ得られなかったと思う。 ■ もちろん、うまくいかない部屋もある 一方で、すべてがうまくいくわけではない。 全く気が合わず、部屋の真ん中に簡易的な間仕切りを置き、険悪な空気が漂う部屋もあった。 本当に、人による。 ■ 寮は「同期とのコミュニケーション」を学ぶ場所 それでも、この寮生活で学んだことがある。 それは、社会人としてのコミュニケーションだ。 価値観の違う相手とどう向き合うか。 距離の縮め方、引...

ここから始まるの!?——日立で踏み出した“最初の現場”

新人研修の先にあった、金融×大規模システムという世界 うわっ、社会人っていきなり本番なのか!? そんな感覚を抱えながら、私は日立での社会人生活をスタートさせた。もともと学生時代からプログラムを書いていたこともあり、新人の中では「システムは分かる方」に入れてもらえていたと思う。正直、システム研修は楽しかった。理屈が分かる、手を動かすと結果が返ってくる。その感覚は、すでに自分の中に馴染んでいた。     ■ 夏、配属説明という“最初の分かれ道” 夏になり、配属の説明が行われた。 金融、公共、産業……並ぶ事業部の名前を聞いても、正直ピンとこなかった。配属面談では「どんなことをやりたいか」と聞かれたが、各事業部が何をしているのか、実感として分かっていなかったのだ。 先輩の話を聞いても、いまひとつ腑に落ちない。 今思えば、理由はシンプルだ。周りはみんなシステム系。違いがクリアに見えなかったのだろう。 「事業部ごとにシステムは全然違うよ」 そう言われていたし、確かに特色はある。でも、今ならはっきり言える。 全部、一緒だよ。 ■ 「モノづくり」がしたかった新人の本音 当時、私が強く思っていたのは「モノづくりがしたい」ということだった。 リアルな現場で、実際に動くものを作りたい。画面の向こうに、確かに使う人がいる世界。その思いを抱えたまま、私は金融系システムへの配属を告げられた。 しかも、大規模システムを構築する部隊。 社内では「ザ・ブラック部署」と囁かれ、少し敬遠されていた場所でもあった。 ■ 嫌煙される部署、でも誇らしかった理由 正直、周囲の反応は微妙だった。 「大変だよ」「きついらしいよ」 そんな声も聞こえてきた。でも、不思議と私は誇らしかった。選んでもらえた、という感覚があったからだ。 大規模システムを構築する。 簡単じゃない。だからこそ、やりがいがある。 そうして、私の最初のプロジェクトが始まった。 ■ 金融という世界に足を踏み入れた瞬間 銀行のシステム。 外国の銀行と接続し、Web画面を作り、データをつなぐ。 一行のコードが、世界のどこかの取引につながっている。そのスケールに、静かに震えた。 この瞬間、私は金融という世界に足を踏み入れたのだ。 ■ そして今、言えること 振り返れば、不...

これが社会の入口!?——500人が一斉に立ち上がった日立の入社式

テレビの中の光景は、現実だった。大企業に「入る」という一日 うわぁ……本当にこんな世界があるんだ。 それが、日立製作所の入社式に足を踏み入れた瞬間、最初に浮かんだ正直な感想だった。     ■ 全社一斉。想像を超えたスケール感 日立製作所の入社式は、事業部ごとではない。 全体で一斉に行われる。 前日、新宿のホテルに前泊し、翌日は朝から夜まで一日がかりのイベント。 会場に集まった人数は、 500人超 。 大学の卒業式と同じ、いやそれ以上の規模だった。 テレビのニュースで何度も見てきた、あの「ずらりと並ぶ新入社員」。 「ああいうの、演出でしょ」と思っていた自分が恥ずかしくなる。 本当に、あるんだな。 ■ 「大企業に入る」という実感が、じわじわ来る スーツ姿で整列する500人以上。 一人ひとりは小さくても、集まると圧倒的な塊になる。 この瞬間、ようやく実感した。 ああ、自分は“大企業”に入ったんだ、と。 式が終わると、今度はそれぞれの事業部へ割り当てられていく。 私が配属されたのは、 システム部隊 。 そこでも、ざっと 200人規模 。 「多いな……」と思いつつ、ここからが本番だった。 ■ 3カ月間の研修という“社会人リセット期間” 配属後は、約3カ月にわたる研修。 社会人としての基礎、ビジネスマナー、そしてシステム開発の考え方。 プログラムの書き方だけでなく、 考え方・進め方・チームの作り方 まで叩き込まれる。 役員クラス、部長クラスの話を直接聞く機会も多い。 学生時代とは、空気がまるで違う。 スーツを着て、真剣な議論を交わす日々。 「社会人になった」という感覚が、一つひとつ積み上がっていった。 ■ 仲間であり、ライバルである存在 同期は、仲間であり、同時にライバル。 議論すれば負けたくない。 成果を出せば刺激になる。 それでも、夜には情報交換し、助け合う。 このとき、心から思った。 基本情報処理技術者試験、合格しておいて本当に良かった。 基礎があるだけで、理解のスピードも、議論の深さも違う。 ■ すべてが「社会人スイッチ」を押していく 500人の入社式。 200人のシステム部隊。 3カ月の濃密な研修。 仲間との切磋琢磨。 そのすべてが、少しずつ、確実に、 ...