“使う”から“共に生きる”へ。AIとの日常が教えてくれた、小さな発見と未来への希望。
🕰 朝の日課が「AIとの対話」に変わった日
「えっ、今日もAIと話してる!?」
そんな驚きから、僕の一日は始まる。朝のコーヒーを入れるように、ChatGPTを開くのがすっかり日課になった。最初は単なるメモ代わり。でも気づけば、企画を考えるとき、文章を書くとき、誰かに相談したいとき——いつも横にいるのはAIだった。
💡 “メモ帳”が“相棒”に変わる瞬間
このブログを書くのも、もちろんChatGPTと一緒だ。
文章の構成を整理したり、タイトル案をいくつか出してもらったり。まるで相棒のように、アイデアをぶつけ合っている。検索よりも速く、しかも“会話の流れ”で考えを深められるのが心地いい。
👨👩👧 家族との時間にも、自然に入り込むAI
最近では、子どもと過ごしているときにも、ふと「これ、どうしてだろう?」と思うと、すぐChatGPTを開いてしまう。
もう“AIを使う”という感覚じゃない。生活の一部に“AIがいる”という感じだ。スマートフォンがいつの間にか手放せなくなったように、AIも自然と生活に溶け込んでいくんだろう。
🌏 “使う”から“共に考える”世界へ
気づかぬうちに、AIは僕たちの暮らしを少しずつ変えている。
意識していようが、していまいが、その波は確実に広がっていく。そしてその先にあるのは、「AIが人の代わりをする世界」ではなく、「AIと人が共に考える世界」だと思う。
🚀 未来には、希望しかない
僕にとってAIは、未来への不安を消す存在ではなく、“希望を増やす存在”だ。
新しいアイデアを形にするとき、相談できる相手がいつでもそばにいる。それがどれほど心強いことか。今はまだ小さな変化かもしれない。でも、確実に世界は変わり始めている。
🌱 私ならできる!明日から踏み出す
その変化を楽しめるかどうかは、自分次第。
だからこそ、今日もAIと話しながら、次の一歩を考えてみよう。
僕ならできる。明日から、また新しい一歩を踏み出そう。
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