“わからない”で終わらせなかった私が、いまデータ分析の現場で感じる「勉強しててよかった」の瞬間。
■ 数学の森で迷子になった日々
「うわっ、これ何!?」
大学時代、応用統計学の講義で初めて「分散分析」という言葉を聞いたときの衝撃を、今でも覚えている。
理系に進んだはずなのに、数学は学年が進むごとにどんどん苦手になっていった。
微分積分の頃まではまだついていけた。
でも、数式の“なぜ”を理解しようとすると、感覚が追いつかない。
公式はある程度パターンで覚えていたけれど、導出のプロセスを問われると頭が真っ白になる。
「いや、マジで、わかんない。」
試験もギリギリ。統計学の教科書を開くたび、まるで数式の迷路に迷い込んだようだった。
数学は奥が深く、どれだけ勉強しても底が見えない。
それでも、「せめて卒業までは」と、諦めずに食らいついていた。
■ あの時の“ちんぷんかんぷん”が今、輝く
それから年月が経ち、今。
データ分析がビジネスの主流になった時代に、私は再び統計学に向き合うことになった。
「この施策、本当に効果あるの?」
「どの要素が結果に影響している?」
そんな問いに答えるには、推定・検定の知識が欠かせない。
驚いたことに、当時必死で覚えた公式が、今でも頭の奥からスッと出てくる。
回帰分析を組み、仮説を立て、結果を読み解く。
気づけば、あの頃“意味不明”だった言葉たちが、自然と自分の言葉になっていた。
■ 統計学は「世界を理解するレンズ」
今なら言える。
統計学は、ただの数式ではない。
データの向こうにある“現実の構造”を見抜くためのレンズだ。
そして、当時のように完全に理解できていなくてもいい。
一度でも触れた経験は、必ず未来で形を変えて役に立つ。
あのときの混乱も、今では「必要な遠回り」だったと思える。
■ 学びの価値は、時間を超える
20年越しに感じる——“学びの蓄積”は裏切らない。
当時の私は「修士より先は絶対ムリ」と思っていた。
でも、今こうしてデータ分析に統計の知識を活かせている。
わからない時も、苦しい時も、続けてよかった。
その積み重ねが、未来の自分を助けてくれる。
■ 明日への一歩
あの頃の自分に伝えたい。
「今はわからなくても、いつかきっと役に立つ」と。
学びは、時間を超えて価値を返してくれる。
ほんと、やっててよかった——そう思える瞬間が必ず来る。
私ならできる!明日からまた一歩、データの先へ踏み出そう。
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