うわ、RPGのラスボスを倒したと思ったら、別の世界線で就活が終わっていた!
■国費留学のはずが、帰国後に待っていた現実
フランスで1年間。しかも国費だ。他の留学とは違う、特別な経験になるはずだった。
語学学校のあと、いきなり企業研修。それも Renaultで8カ月。
「十分なネタがある」「働くハードルも下がった」「これは武器になる」——自信があった。
僕が選んだのは、ブルカヌスプログラム。
日本の学業スケジュールに合わせられていて、4月に渡仏し、翌年3月に帰国する設計だ。
つまり、帰国した瞬間に就職活動へ突入できる。完璧な流れ——そう信じていた。
■しかし帰国したら“就活は終盤”だった
3月末に帰国。
「さぁ、就活だ!」と思った瞬間、驚いた。
すでに多くの学生が内定を獲得していた。
4月解禁?建前らしい。
内々定なのか何なのか分からないが、とにかくみんな先を走っていた。
でも焦らなかった。
なぜなら、Renaultを経験した僕なら、日産に行けるはずだと思っていたから。
■面接で“企業研修の成果”を語れなかった
履歴書を書き、フェアに参加し、企業説明会にも積極的に顔を出した。
しかし、情報の差は埋まらない。
そして日産の面接。
話せることは山ほどあった。
語学学校からいきなり実務になった驚き、文化の違い、Renaultで任せられた仕事。
でも結果は 落ちた。
理由はシンプルだ。
Renaultの経験を「成果」として表現できなかった。
自己理解が浅く、仕事の文脈に翻訳できなかった。
そこから自動車メーカーをいくつか受けたが、落ち続けた。
■焦っても、結局“面接の感覚”がなかった
留学中、僕は周囲の動きを知らず、フランスで淡々と経験を積んだ。
だがその裏側で、日本では就活の戦略・準備・面接練習が進んでいた。
僕には、
「就職面接とは何か?」という空気がなかった。
経験をどう「強み」に変えるか、理解できていなかった。
そして、ただ落ちていく。
■最後は偶然が“拾ってくれた”
それでも僕には救いがあった。
教授の紹介で 日立に入れた。
結果論だが、
捨てる神あれば拾う神あり。
フランスで“成長したつもり”でも、帰国後の競争軸には別のルールがある。
経験だけでは勝てない。
翻訳し、戦略に変え、走りながら修正する必要がある。
僕は痛感した。
海外で勝ったと思っても、日本の就活は別ゲームだ。
でも、あの日の混乱が僕を強くした。
行けば何とかなる。
失ってもつながる。
落ちても拾われる。
私ならできる!明日から踏み出す
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