ベルギー発表まで残り2カ月——背中を押してくれたのは、日本人エンジニアでした
【衝撃の始まり——部署が消えた日】
「えっ、終わった…!?」
そんな叫びから、私の“逆転ストーリー”は始まりました。
フランスでの企業研修まっただ中、突然の部署消滅。
机も、役割も、所属も——一晩で消えたのです。
最初に頭をよぎったのは、30ページの終了論文。
プログラムとしては続ける必要があり、
3月にはベルギーで11人の仲間が成果発表を控えている。
でも——提出先がない。
【時間は1月、発表は3月——逃げ場のない現実】
1月。
新しい部署を探すには、あまりに時間がない。
Renault社に確認しても、
「新しい部署の割り当て予定はありません」
と事務的な返答。
少しだけ書き出したレポートはある。
でも “どこに出すのか” がない。
上司に相談しても、
「あなたのレポートを受け取る部署はない」
と言われ、心が折れた。
――あきらめる?
そんな言葉が本気で胸をよぎった。
【日本人エンジニアとの出会い——本気の喝】
そこで頼ったのが、
日産から派遣されていた日本人の優秀なエンジニア。
事情を話すと、
「う〜ん、ひどいな…」
と同情しながらも、ちゃんと耳を傾けてくれた。
私は自虐気味に言った。
「もう、あきらめるしかないっすね〜」
その瞬間——
空気を切り裂くような声が飛んだ。
「出すんだよ!」
「やってきたんだろ!? 書いて出すんだよ!」
「受け取らなかったら、机に叩きつけてやるんだよ!」
「言われてやるんじゃない。自分で書いて、自分で出すんだよ!」
胸を撃ち抜かれるような一言だった。
【気づき——“環境をつくるのは自分”】
その瞬間、私はハッとした。
“自分で動く、自分で環境をつくる”
その姿勢を、いつの間にか手放していた。
彼は本気のエンジニアだった。
そして私は、どこかで甘えていた。
——フランスまで来たんだ。
このまま終われるわけがない。
消えかけていた私のエンジンに、
再び火が灯った。
【逆転の決意——爪痕を残すために】
部署がなくても、受け取り先がなくてもいい。
私は、自分がやってきた爪痕を残したい。
あの日、日本人エンジニアに背中を押されなければ、
きっと私は折れていた。
でも今は違う。
私は、自分の足で前に進む。
私ならできる。明日から、また一歩踏み出す。
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