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ピッチより“言葉遣い”!?”——アナウンサーが教えてくれた、伝える力の本質

数字でも事業内容でもない。“どう話すか”が、伝わるかどうかを決めていた。 🎙️アナウンサーとの出会い 「えっ!? ピッチの指摘って、そこなの!?」 そう思ったのは、ラッキーなことにアナウンサーの方に自分のピッチを見てもらえた時だった。 これまでの私は、「数字をもっと明確に」「事業内容を簡潔に」といったビジネス的な指摘を想定していた。 でも、返ってきたのはまったく違う種類の言葉だった。 「語尾がつぶれてます」「早口すぎます」「もっと“言葉を立てて”ください」 ——え?そこ?と、正直最初は戸惑った。     💡伝わるための“設計” けれど、その指摘の一つひとつには、“伝わるための設計”が詰まっていた。 どうすれば伝わるのか。何を伝えたいのか。 その一点に集中して、言葉を組み立てる。 ストーリー構成よりも前に、まず“言葉への意識”があるということを初めて知った。 🗣️言葉を立てるということ 活舌、語尾、早口。どれも練習で改善できる。 でも、それ以上に大切なのは「言い切ること」。 曖昧な語尾を残さず、はっきり区切って、一言ずつ立てて話す。 「ここで言葉を立てましょう」と言われた時、初めて“声”ではなく“言葉”に力を込める感覚をつかんだ。 🔄対比と表現範囲 さらに印象的だったのは、「対比を使いましょう」というアドバイス。 強い言葉とやわらかい言葉。大きな声と小さな声。沈黙と、響く言葉。 この“コントラスト”が、伝わる話の深みを生むのだと。 たしかに、手が震えてポインターもクリッカーも苦手な私にとって、「表現」はずっと壁だった。 でも、アナウンサーは言った。 「クリッカーを使い慣れると、表現範囲が広がりますよ」と。 なるほど——表現範囲。 それは、声の出し方だけじゃなく、“言葉でどこまで世界を広げられるか”という意味だったのだと思う。 👁️相手の目を見て伝える 前に立って、相手の目を見て伝える。 その時、何を、どんな言葉で届けるか。 ただ説明するのではなく、“相手の心に残す”ために話す。 言葉一つで、伝わり方は変わる。 🚀言葉の力が未来を変える これまで「プレゼン=内容」と思っていたけれど、本当は「プレゼン=言葉の使い方」だった。 言葉へのこだわりが、その先の未来を変え...

「えっ!? 司会者って、そんな次元なの!?」——“話す技術”の奥にある、プロの思考と美学

発音でも、度胸でもない。“伝える”を極めた人たちから学んだ、話し方の本質 🎤驚きの始まり——「司会者って、マジ凄ない!?」 「えっ!? 司会者って、そんな次元なの!?」——初めてそう感じたのは、自分が人前で話す機会が増え、いろんな方に話し方を教えてもらうようになってからだった。 中でも印象に残っているのは、プロの司会者の方。発音や滑舌の練習を想像していたけれど、実際はまるで違った。 空いた時間でお小遣いを貯めよう!「アイリサーチ」       💬教えられたのは、“言葉の設計”だった 「大事なのは、“何をどう伝えたいか”を、聴き手の時間軸で組み立てること」。 その言葉に衝撃を受けた。話す順番、間の取り方、声のトーン、視線の動き——すべてが“相手に届くための設計”として考え抜かれていたのだ。 👄想像と違った“指摘ポイント” 最初は、「もっと口を開けろ」とか「語尾をはっきり」と言われると思っていた。 でも実際に指摘されたのは、自分の“癖”。語尾がつぶれる、口が開いていない、焦って早口になる——どれも無意識の習慣だった。 驚いたのは、英語でも同じことを指摘された経験があること。 つまり、どんな言語でも「伝える」は“声を出す”ことではなく、“相手に届かせる”ことなんだと気づいた。 🧠緊張を超えた先にある、プロの世界 プロの司会者は、ただ緊張しない人ではない。 緊張を超えた先に、「どうすれば会場の空気が動くか」を知っている人だ。 発音が完璧でなくても、声が通らなくても、伝え方を設計できれば人の心は動く。 話すスピード、呼吸、間、そしてストーリーの流れ——それぞれに理由があり、すべてが“伝えるため”に存在している。 🌱小さな意識が、伝わり方を変える 「ゆっくり話すことを意識してみてください」。 それだけで、聞き手の表情が変わる。 自分の癖を意識するだけで、話し方に“余白”が生まれる。 そして何より、話すたびに“相手を想像する力”がついてくる。 🚀プロの道に学ぶ、明日からの一歩 プロにはプロの道がある。 そこに行くつもりはなくても、彼らの考え方を知るだけで、話し方の見え方が180度変わる。 「伝える力」は才能ではなく、意識で磨かれるもの。 明日からは、“自分の言葉”をもっと丁寧に...

「えっ!? プレゼンの練習って“独り”じゃ限界!?」——私がToastmastersで見つけた、挑戦の場

“話す力”は、学ぶより「練習」で磨かれる。人に見てもらう勇気が、自分を変えていく。 ■気づいた。「学ぶ」と「できる」は違う 「えっ!? プレゼンって、練習しないとダメなの!?」 最初にそう感じたのは、いくつかの講座を受け終わった後だった。構成や話し方のテクニックは学んだ。でも、実際に話すとなると、頭が真っ白になる。——そう、“学び”と“実践”の間には大きな壁があった。 アンケートでおこづかい稼ぎ     ■一人練習の限界 家の中でひとり、鏡を前に練習してみる。録画して見返すこともある。でも、どうしても本番とは違う。誰も見ていないから緊張感が足りず、逆に「人にどう見えるか」はまったく分からない。 プレゼンは“人に伝える”ことなのに、人がいない練習では限界がある。 そう気づいたとき、私は思った。「勉強は一人でできるけれど、“練習”は人に見てもらうものだ」と。 ■テーマを決めるのも、自分ひとりの壁 本番を想定して自分でテーマを決め、話してみる。でも、テーマ設定から自己分析まで全部自分ひとり。なかなか続かない。何より、誰かに評価されないと成長が分からない。 ——そんな悩みを抱えながら、私は検索しまくった。 ■高すぎる講座、続けにくい学び 見つかるのは高額な話し方講座やビジネスセミナーばかり。確かにプロから学べるが、費用は数万円。自己成長のためとはいえ、やっぱりコストは気になる。 「もっと実践的で、続けやすい場はないのか…?」そう思っていたときに出会ったのが、 Toastmasters だった。 ■Toastmastersとの出会い 半年で1万円ちょっと。月2回の練習会。 安いのに内容は本格的。テーマは「Pathways」と呼ばれる体系化されたカリキュラムに沿って進み、オンライン講座では“声の出し方”“目線”“表情”“姿勢”など、プレゼンに必要な要素を段階的に学べる。 練習会では、同じクラブの仲間がフィードバックをくれる。しかも、「良かった点3つ」と「改善点1つ」。 このバランスが絶妙だ。改善だけだと心が折れる。でも、良いところを認めてもらえるから、また挑戦したくなる。 ■仲間と共に成長する喜び 他の人の発表を見ていると、自分と同じように悩みながら成長している姿が見える。 みんな最初は緊張していた。でも、...

えっ!? 手が震える——話し方講座で学んだ、“伝える勇気”のつくり方

■ あれ?手が震える——話し方講座のスタートライン 「えっ!? 手が震える!?」——初めて人前で話した日のことを、今でも鮮明に覚えている。言葉が頭から飛び、声が裏返り、マイクを握る手が震えた。半年ほど通った話し方講座では、それなりの知識は得たけれど、自信が大きくついたかというと、正直そうでもなかった。むしろ、課題の深さに気づかされた。 空いた時間でお小遣いを貯めよう!「アイリサーチ」       ■ 「練習あるのみ」——繰り返すしかない現実 講師はいつも言っていた。「話し方に近道はありません。練習あるのみ」。 頭ではわかっていても、実践は簡単じゃない。台本を何度も読み返し、声に出して練習しても、いざ本番になると体が固まる。けれど、不思議と続けるうちに、震えの時間が少しずつ短くなっていった。 努力の積み重ねが、いつか自信になる——そう信じて、毎回の発表に挑んだ。 ■ 日本語でも英語でも、“伝える力”は同じ そんなある日、ふと気づいた。「これ、日本語でやってるけど、英語でも一緒だよな」と。 転職してから英語で話す機会も増えた。進捗報告くらいならできるようになったけれど、やっぱり前に立ってプロジェクトを鼓舞しているリーダーを見ると、自分もその立場に行かないといけないと感じた。特に、キックオフや合間の挨拶でカッコよく話す姿には、憧れを超えて“自分もやりたい”という気持ちが芽生えた。 ■ プロジェクトを動かすプレゼン力 プロジェクトをうまく回すには、プレゼン能力は不可欠だ。 資料を説明するだけではなく、メンバーの心を動かす言葉を持つこと。それこそがリーダーに求められる力だと痛感した。だから私は、次の段階に進もうと思った。英語でプレゼンができるようにならなければならない。——日本語で震えている場合じゃない。 ■ TEDスピーチとの出会い——理想を形にする勇気 そんなとき、TEDのスピーチ動画を見た。堂々と話すスピーカーたち。その姿に、かつて講師が言っていた言葉が重なった。 「大切なのは、上手に話すことより、伝えようとする勇気」。 そうだ、これをできるようにならなきゃ。そう思った瞬間から、私はまた検索を始めた。英語プレゼンの練習法、TED風スピーチの構成、発音矯正——気づけば夜更けまで動画を見ていた。 ■ 明日...

「あれ?声が出ない!?」——緊張に負けた私が“話し方”の本当の意味を知った日

プレゼンで頭が真っ白になった私が、新橋の話し方講座で見つけた“伝える勇気”の原点 【あれ?声が出ない——最初の挫折】 「あれ?声が出ない!?」——最初にそう感じたのは、大企業の会議室。 30人以上の前でプロジェクト進捗を報告する瞬間、用意したはずの言葉が頭の中から消えた。何を話せばいいのか分からない。焦って、「すいません…」を繰り返す自分が情けなかった。 中小企業診断士も取った。IT資格もいくつも取った。 知識も努力も、誰にも負けないつもりだった。 でも、“話す力”だけが抜け落ちていた。 頭が真っ白になるとは、こういうことか——。会議が終わった瞬間、心の中で焦りがこみ上げた。     【話し方講座との出会い】 「人前で話す練習をしないといけない」 そう思って、初めて“話し方講座”というものを検索した。 調べて驚いた。料金はピンキリで、数万円のものから十万円を超えるものまで。 いくつか説明会に参加して、最終的に“新橋で開催されるリアル講座”を選んだ。週1回、30人ほどの参加者が集まる。 【発声から始まった、小さな挑戦】 初回は発声練習から始まった。 「ア・エ・イ・ウ・エ・オ・ア・オ!」と、腹の底から声を出す。 まるで演劇部の練習のようで、懐かしさすら感じた。 その後は、1人ずつ前に出て話す。テーマは「今週の気づき」。 最初は恥ずかしくて、声も震えた。でも、何度も繰り返すうちに、少しずつ言葉が出るようになっていった。 【気づいた、“伝える勇気”という力】 講師が言った。 「話すことは、“声を出す技術”じゃない。相手の心に届く“勇気”なんです。」 その言葉にハッとした。 これまで私は、“上手に話す”ことばかりを意識していた。 でも本当に大切なのは、“自分の想いを届けること”。 完璧じゃなくていい。言葉に心が乗れば、人はちゃんと聞いてくれる。 【緊張は敵じゃない——力に変わる瞬間】 それからというもの、会議の前に必ず発声をし、深呼吸をするようになった。 完璧なスクリプトではなく、“伝えたい一点”を明確にして臨む。 不思議と、緊張は“力”に変わった。 あの日、声が出なかった自分に伝えたい。 「大丈夫。話すことは技術じゃなく、練習で変わる勇気だよ。」 【明日からの一歩】 明日からの一...

「ピッチという魔法にかかった日」——“伝える力”が、自分を変えていく

経産省×JETROの「始動プロジェクト」で気づいた、ビジネスより大切な“思いの伝え方” 【導入】——うわっ、これが“ピッチ”の世界か! 2025年10月25日、大きなピッチが終わった瞬間、胸の奥で何かが弾けた。 登壇したのは、経産省とJETROが10年以上続けている「始動プロジェクト」。 ただのビジネスアクセラレーターではない。ここでは「人としてどう伝えるか」が問われる、少し特殊なプログラムだ。     【体験】——不思議なピッチだった 普通のピッチでは、事業計画や収益性を説明する。 しかし、ここで求められるのはそれだけではなかった。 「このビジネスを見てください」ではなく、「この私を応援してください」。 そんな 自己開示のステージ に立つような感覚だった。 このアクセラが終わっても、賞金も出ないし、すぐに投資が決まるわけでもない。 それでも、誰もが真剣に語っていた。 「VCとつながるかもしれない」 「仲間とアイデアを掛け合わせて新しい発想が生まれるかもしれない」 そんな “未来の可能性” が、この場を輝かせていた。 【学び】——アイデアと話す力は、似ている 何十人ものメンター、先輩から、鋭いコメントをもらう。 時に痛く、時に励まされる。 全部を受け止めきれないけれど、一つひとつを整理していくうちに気づいた。 「アイデアを整理することと、話すことを整理することは似ている」 言葉を磨けば、思考も澄む。 思考を整えれば、言葉も研ぎ澄まされる。 そんな感覚を、このプロジェクトを通して少しずつ体で覚えていった。 そしていつの間にか、「話すこと」自体が楽しくなっていた。 【結論】——ピッチは“鏡”だ ピッチとは、ただのプレゼンではない。 自分を見つめ、思いを伝える“鏡”のようなものだ。 話すことで、自分の内面が磨かれていく。 それが、何よりの成長だった。 あの日の高揚感は、今も心に残っている。 ——これが、私の「始動」だった。 私ならできる!明日から踏み出す。

えっ!? 生徒に避けられた——それでも“先生になりたい”と思えた2週間

■ 初めての「働く」——それは母校での教育実習だった 「えっ!? 生徒に避けられた!?」 そんな予想外の出来事から始まった、私の教育実習。 数学の教員免除を目指し、最後のステップとして挑んだ2週間。 日本で“アルバイト以外”で働くのはこれが初めてだった。企業経験はあったが、相手が“中学生”というのはまったく違う。しかも舞台は自分の母校。懐かしい通学路を歩きながら、「今度は教える立場で戻ってきたんだ」と胸が高鳴った。 アンケートでおこづかい稼ぎ     ■ 緊張よりもつらかったのは「朝の早起き」 初日は不思議と緊張はなかった。ただ、朝が早い。大学生活では夜型の勉強リズムだったため、規則正しい生活に体を慣らすのが一番の試練だった。 それでも担当は中学2年生。指導教員の先生の後ろを一生懸命追いかけながら、授業の流れをつかんでいった。 ■ 塾とはまるで違う“教える”ということ 授業内容自体は難しくない。塾講師のアルバイトで何度も教えてきた単元だった。 でも——学校は塾とは違う。 できる子を中心に進める塾と違い、学校では「取りこぼさないこと」が第一。 同じ単元でも20分かけて丁寧に説明し、全員が理解するまで進まない。 その姿を見て、ふと思った。 「先生の感覚って、こういうことか」 自然と、できる子よりも“できない子”に目が行くようになっていた。 ■ 生徒との距離——懐かれて、避けられて 2週間の実習では、授業だけでなく部活動にも参加し、生徒たちと全力で向き合った。 なついてくれる生徒もいれば、私を避ける生徒もいた。 思春期特有の難しさ。正解はわからない。 でも、全員と真正面から関わることだけは意識した。 ■ 最後の日に届いた“心のメッセージ” 実習の最終日、全員からメッセージカードをもらった。 避けていた生徒のカードにはこう書かれていた。 「2週間、私には本当に長かったです。」 思わず笑ってしまった。きっと、いろんな感情があったのだろう。 「好かれてましたね」と指導教員の先生が言ってくれた。 「ぜひ先生になってね」 その言葉に、私は笑顔で「ありがとうございます」と答えた。 ■ 教職のやりがい、そして“今はまだ”という決断 教育の楽しさ、難しさ、責任。 2週間でそのすべてを肌で感じた。 ...

「えっ!? 数学の教員免除がこんなに面白いなんて!」——学ぶ“意味”を見つけた大学生活の逆転劇

カナダ帰国後、ただの単位集めが、“学ぶことの本質”に変わった瞬間。 【1】カナダ以前——ただ流されていた大学生活 「えっ!? 数学の教員免除がこんなに面白いなんて!」 そう感じたのは、大学に戻ってしばらく経った頃だった。 カナダに行く前、僕は大学3年生。いくつかの教科を取得していたものの、「大学で勉強する意味」なんて深く考えたことはなかった。周囲が取るから自分も取る——そんな“流されるまま”の学生生活だった。 空いた時間でお小遣いを貯めよう!「アイリサーチ」       【2】カナダ帰国後——学びの意識が変わった しかし、カナダから帰ってきた僕は少し違っていた。 異国で感じた挑戦の空気、学ぶことの楽しさ、そして“自分で学びをコントロールする力”を知った僕は、再びキャンパスに立つとき、別の目を持っていた。 授業を詰め込み、大学院の勉強にも手を伸ばした。 その中で目標のひとつにしたのが、「数学の教員免除」だった。 【3】発見——理系以外の学びが面白い! 教員免除のカリキュラムは想像以上に緻密で、よく考えられていた。 数学だけでなく、心理学や教育学といった“理系以外”の科目が多く含まれていたのだ。 最初は戸惑いながらも、学ぶうちに心が動いた。 「なるほど、学ぶ側の気持ちをここまで考えているのか」 それは、ただ知識を教えるだけじゃない。子どもの気持ちを理解し、どう伝えるかを設計する“人を育てる学問”だった。 【4】気づき——塾の先生とは違う“教育”の世界 実は僕、以前に塾の先生をしていたことがある。 だから最初は「教えるのは得意だ」と思っていた。 でも、学校の先生はまったく違った。 担任として子ども一人ひとりを見守り、取りこぼさないようにする責任。塾では気づけなかった“教育の重み”を感じた。 【5】挑戦——勉強づけの日々、それでも楽しかった そして最後には教育実習が待っていた。 数学、英語、大学院の授業、すべてを詰め込みながら進めた教員免除の過程は、まさに体力と集中力の勝負。 それでも、不思議と楽しかった。 学びの1つひとつが、自分の未来に直結している実感があったからだ。 でこぼこしながらも、確実に前へ進む感覚。 それが、僕にとっての“勉強の楽しさ”になっていた。 【6】結論——...

えっ!? 勉強って“場所”で変わるの?——大学という特権を使い倒した話

カナダから帰って気づいた、“学べる環境”があるうちに詰め込む大切さ 🌎 帰国後に感じた「置いてけぼり」 「えっ!? 勉強って“場所”で変わるの?」——カナダから帰国した直後、私はその意味を痛感した。 英語も半端、進路もぼんやり。何をどうすれば「グローバルに通用する自分」になれるのか、全く見えなかった。 だからこそ、帰国してからの私は “勉強を詰め込むマシン” になった。朝から本を開き、パソコンに向かい、ノートを真っ黒にして数式を追いかける。まるで止まった時間を取り戻すように。 空いた時間でお小遣いを貯めよう!「アイリサーチ」       🎓 「大学にいる今だから」できたこと 大学という場所には、驚くほど多くのチャンスがある。 大学院進学も、英語のクラスの取り直しも、教員免除の取得も、 「大学にいる今だからこそ」 簡単に挑戦できた。 社会に出てからでは、一念発起して受験や申請をやり直さなければならない。でも今なら、ワンクリックで始められる。 「環境を味方にする力」こそ、学生の最大の武器だと気づいた。 🧮 教員免除がくれた“原点の再発見” 特に 教員免除の勉強は楽しかった。 母が数学の教師ということもあり、彼女と同じ道を少しだけたどるような感覚。家で数式を並べながら質問できる環境が、当たり前のようにあった。その「当たり前」が、どれほど恵まれていたかに今さら気づく。 🧭 “流されてきた自分”への理解 振り返れば、私はずっと“環境に生かされてきた”のかもしれない。 数学が得意だから工学部。父がエンジニアだから、工学部のハードルが低かった。気づけば、親が作ってくれた道の上を自然と歩いていた。 でも——カナダに飛び出したことで、初めて**“自分でコントロールする”**という感覚を得た。 今はまだ、何で生きていくのか定まっていない。だけど、今ここにある環境を使い切ろうと思った。 🚀 学びを通して、自分を変える 大学院進学も、教員免除も、英語も、全部いまだからできる。 環境を“利用する”ことこそが、グローバルな勉強の第一歩だ。 焦らなくていい。すべてを一気にできなくてもいい。 少しずつ、でも確実に。 学びを通して、自分を変えていけばいい。 💬 結び 私ならできる!明日から踏み出す。...

えっ!? 1年で人生がひっくり返った——カナダで見つけた“本当の勉強”

英語も通じない。仕事もない。だけど、カナダで“生き抜く力”と“学びの意味”を掴んだ。 「えっ!? 私がカナダで生きてる!?」 21歳の冬、私は大学を休学し、ワーキングホリデーでカナダへ飛び立った。 英語も完璧じゃない。貯金も少ない。けれど、「なんとかなる」と思っていた。 実際、最初の数週間は“なんとかしかならなかった”。 英語が通じず、買い物ひとつにも苦労した。 「Are you dumb?」と笑われたこともある。差別か?と感じることも少なくなかった。 それでも、働かないと生きていけない。気づけば体が先に動いていた。     「できた」瞬間が、心を変えた そんな日々の中で、少しずつ“できた”が増えていった。 英語でオーダーが通じた。職場で褒められた。給料がもらえた。 ——なんとか働いていけるんだ。頑張れば、お金は稼げる。 カナダでの1年間は、そんな“自信”を掴んだ時間だった。 バックパッカーとして旅を重ねるうちに、多くの人と出会った。 貧しくても笑顔な人、勉強せずとも幸せそうな人。 でも、私はそこで一つ決めた。 「この先、自分の人生をコントロールできる人間になりたい」と。 「勉強しないといけない」 現地で見た世界は自由だった。 だが同時に、自由は“力”がなければ掴めないと痛感した。 体で動くより、頭で働く方が大きなことができる。 そして、大学で学ぶ意味を初めて理解した。 せっかく大学にいる。 その環境を“当たり前”にしてはいけない。 休学してやってきたカナダで、私は大学の価値を心から知った。 「日本に戻ろう」 ワーキングVISAを延長して、カナダに残る道もあった。 でも私は、大学に戻ることを選んだ。 日本の方が、アクセスできる知識も多く、環境も安定している。 まずはその恵まれた環境で、しっかり学ぼうと思った。 1年かけて気づいた——それが私にとって最大の成果だった。 今になって、あの環境を作ってくれた親への感謝がこみ上げる。 大学に行けと、ケンカしてまで送り出してくれた両親。 その想いに、ようやく応えたいと思えた。 「明日からの一歩」 帰国の飛行機の中で、私は静かに笑った。 「日本に帰る」——それは“後退”じゃない。“前進”だ。 カナダでの1年が教えてくれた。 「...

「えっ、氷点下の街で“友達”ができた!?」——イエローナイフで見つけた心のぬくもり

英語が話せなくても、笑いと時間が心をつなぐ。カナダ北端で知った、“友情”の本当の形。 🌍 カナダで見た「通じない現実」 「マイナス30度!? え、そこに人が住んでるの?」 初めて“Yellowknife”という地名を聞いたとき、思わずそう叫んだ。カナダの北、オーロラの街。スキー場もない、雪と氷と湖だけの世界。 でも、なぜか惹かれた。ドライバー仲間から「行ってみれば?」と聞いたのがきっかけだった。頼るのはそのひとりだけ。情報は「湖を越えて行くらしい」くらい。地図を見てもよくわからない。それでも、迷いはなかった。     🚌 バスドライバー時代の“限界” カナダで観光バスのドライバーをしていた頃、英語はほとんど話せなかった。 日本人観光客相手の仕事だから、上達のチャンスもない。少し話せるようになった気もしたが、結局は“自信が少しついただけ”。 でも、人との出会いの中で「話せなくても通じる」瞬間を、少しずつ感じ始めていた。 ❄️ 氷点下の街、イエローナイフへ イエローナイフに着いてからは、想像以上に過酷だった。空気が痛い。手袋を外せば、3分で指が動かなくなる。 ホテルの受付は満員で、英語も拙い私にできる仕事はなかった。 それでもホテルの人たちは優しかった。「じゃあドアマンをやってみる?」と声をかけてくれた。夜はキッチン清掃、時々レストランのウェイター。昼夜問わず働ける場所を作ってくれた。 🏠 カナダ人と暮らした3か月 住まいはホテルが借りたシェアハウス。今回は日本人は私ひとりで、周りは全員カナダ人。最初は緊張したけれど、一緒に夜を過ごしていると、自然と仲良くなれた。 英語がうまく話せなくても、笑い合う時間が増えていく。 日本人好きのカナダ人もよく遊びに来て、ギターを弾いたり、料理をしたり。3か月ほどの短い期間だったが、濃くて温かい時間だった。 💬 英語よりも大切なこと 「英語ができる・できない」よりも、「相手を知りたい・楽しみたい」という気持ちのほうがずっと大事だと気づいた。 日本人の仲間内では派閥やチーム分けもあったが、私は一人の外国人として、ただ純粋に友達と過ごしていた。国も言葉も関係なく、笑顔だけでつながる時間——それが“友情”だった。 🌌 オーロラの光の下で 冬が終わりかけ、オーロラの光が薄く...

「えっ、その足どけて!?」——カナダ横断バスで学んだ“英語より大切なこと”

英語が通じない悔しさと、ユーモアで空気を変える力に気づいた日 🚍 静寂のバスで始まった“沈黙の旅” 「うわっ、マジか…!?」 バスの頭上から、突然“足”が降ってきた。しかも靴のまま。——それが、僕のカナダ横断の思い出の一幕だ。 当時の僕は、ワーキングホリデーでカナダを旅していた。英語はまだ拙く、会話のたびに緊張する。そんな中、長距離バスでの数日間は、まるで“沈黙の修行”のようだった。 窓の外に広がる雄大な景色。草原、湖、遠くに見えるロッキー山脈。だけど、隣に座る人とはほとんど言葉を交わせない。 話しかけたい。でも、言葉が出てこない。 結局、旅を楽しむというより、“会話できない自分”と静かに向き合う時間が続いた。 アンケートでおこづかい稼ぎ     😣 英語の壁と、降ってきた“足”の衝撃 そんなある夜、タチの悪い人たちが乗ってきた。後ろの席から何か話しかけられたが、何を言っているのか分からない。とりあえず笑顔でうなずき、関わらないようにした。 ところが次の瞬間、僕の頭の上に「ドンッ」と足が出てきた。 彼は靴のまま、足を前の席に投げ出して寝転がっていたのだ。 驚いたけど、英語で「やめて」と言う勇気が出ない。 ただ、嫌な顔をして小さく体をずらした。 情けないけれど、どうしようもなかった。 💬 一言のユーモアが変えた空気 次の停車駅で人が増え、隣には若い女性が座った。 そしてその彼女が、後ろの“足の男”に何かを言った。 ——その瞬間、バスの中が笑いに包まれた。 どうやら彼女は、ユーモア混じりに皮肉を言ったらしい。 その一言で男は照れ笑いしながら、すぐに足を下ろした。 英語の上手さだけじゃない。 彼女の言葉には「場を和ませながら相手を動かす力」があった。 それを見て僕は、自分が目指す“英語力”のゴールが変わった。 🌎 英語より大切な“伝わる力” 英語ができるようになりたい。 でもそれ以上に、「人を思いやり、状況を変えるコミュニケーション」を学びたいと思った。 カナダの広大な夜空を見上げながら、僕は心に決めた。 次は、話せる自分で挑戦しよう。 英語の壁を超えて、“伝わる力”を身につけたい。 ——私ならできる。 明日から、一歩踏み出そう。