うわっ、終わったはずのプロジェクトが、いまだに頭の中で続いている――。
■プロジェクトは「長さ」で記憶に残るのか
社会人になってから、いくつものプロジェクトを回してきた。
短いものから長いものまで。
短くて2、3か月、長くて2年以上。
やはり記憶に残りやすいのは長いプロジェクトだ。
そりゃそうですよね。
時間をかけ、苦労し、乗り越えた分だけ、思い出は濃くなる。
しかし、例外もある。
短いのに、妙に強烈に残るプロジェクトがあるのだ。
■3か月で終わった、終われなかったプロジェクト
今回のプロジェクトもそうだった。
わずか3か月で離れることになった案件。
正直、悔しかった。
「役に立ちませんでしたよ」と言われているような気がしたからだ。
もちろん、そんなことはない。
理由はシンプルで、部署間の取り決め。
最初から「いついつまで」という約束が決まっていた。
直前に一つのプロジェクトをやり遂げていた私は、
次も活躍できる自信があった。
だが現実は違った。
■“関われるのに、踏み込めない”という制約
契約上、メインタスクには関われない。
意思決定にも深く入れない。
できることは、情報を伝えること。
補足説明をすること。
私は、できる範囲で動いた。
説明会の資料作成を手伝い、
何かあればアドバイスをする。
しかし、それ以上は踏み込めない。
目の前では、同期がメインでプロジェクトを回している。
明らかに忙しい。
助けたい。
でも、リードが取れない以上、
そのタスクをカバーすることはできなかった。
■やり切れなかったという違和感
そして、3か月。
私はプロジェクトを離れた。
形式的には「完了」。
しかし、感覚としては「未完了」だった。
何か引っかかる終わり方。
やり切った感覚が、まったくない。
■その後に知った“もしも”の連続
そのプロジェクトは、その後も何年か続いた。
そして、かなりドタバタしていたらしい。
作り直し。
方向転換。
混乱。
話を聞くたびに、こう思ってしまう。
あの時、もう少し踏み込んでいれば。
あの時、自分の手を動かしていれば。
何か変えられたのではないか。
もちろん、後からなら何とでも言える。
契約や役割の制約は現実だ。
それでも、この「心残り」は消えない。
■ビジネスにおける“関与度”の本質
この経験から学んだのは、
プロジェクトの価値は「期間」ではなく「関与度」で決まるということだ。
長くいても、関与できなければ記憶には残らない。
短くても、本気で入り込めば強烈に残る。
そしてもう一つ。
「関与できない状態」をどう扱うかが、プロフェッショナルの分岐点になる。
制約の中でも一歩踏み出すのか。
それとも、役割に徹するのか。
どちらが正しいかは状況次第だ。
しかし、少なくとも私は思う。
“踏み出さなかった後悔”は、長く残る。
■次に同じ状況になったら
もし次に同じ状況が来たらどうするか。
私はきっと、もう一歩だけ前に出る。
許される範囲を見極めながら、
それでも「自分が価値を出せる領域」を探しにいく。
あの3か月は短かった。
でも、私の中では終わっていない。
だからこそ意味がある。
あの時の自分に言いたい。
「一歩、出てもよかった」と。
そして、今の自分はこう決める。
私ならできる!明日から踏み出す
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